御厨貴の政界人物評論

第6回 仙谷由人 道半ばのリアリズム

毎日新聞 2013年09月12日 東京朝刊

 ◇御厨貴(みくりや・たかし)

 民主党政権を「決められない政治」とひとくくりにしてバサッと切り捨てるのが、先の衆院選、そして今回の参院選の折の国民の気分であった。鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦という3代の政権の政治への取り組み方の相違は、ほとんど無視されている。それはまた民主党の政治家たちが、官僚や国会やメディアと切り結んだ生々しい体験をきちっと自分の言葉で語れないからでもある。

 仙谷由人は、その点落選したベテラン政治家という、非常にモノを言いやすいポジションにいる。またひとくくりにされがちな3代の政権との距離感が、これほどはっきりしている人も珍しい。鳩山内閣での行政刷新・公務員制度改革担当・国家戦略担当・「新しい公共」担当の特命大臣、次いで菅内閣での内閣官房長官、民主党代表代行、内閣官房副長官、そして野田内閣での民主党政策調査会長代行、副代表と、ポストは目まぐるしく変わっている。しかも仙谷自身は、鳩山政権ではまったく主流意識はなく、大勢の大臣の一人という感覚だ。菅政権では、菅総理の内懐(うちふところ)的存在でありながら、どこか異邦人としての感覚が抜けない。野田政権では遠ざけられた印象を否めない。

 ◇首相の「弁護士」に

 しかしそこに共通しているのは、仙谷にとっての「政治家」のあり方だ。依頼人=総理があって自らのポジションを固め、打って出るという姿勢である。弁護士は99人に罵倒されても1人を守る仕事と語る仙谷の職業観はそのまま政治家のそれに連なる。だからそこでは、理念や理想はどうあれ、まずはリアリズムに徹するということになる。

 仙谷流リアリズムは、意外にも権力の館の捉え方に表れる。内閣府特命大臣として仙谷は、トイレとロッカーの付いた大臣室における自足性が密室性と閉鎖性とイコールであることに気づく。だからオープンドアにし、スタッフルームの壁の撤去を行う。平場の議論で官僚を含めたスタッフと情報交換することが大事なのだ。しかも仙谷はやがて立派な大臣室に大臣は終始いないことを、官僚から期待されていると分かる。要は権力の館はハリボテで、大臣はそこでは仕事をしてはいけないのだ。何とここで、仙谷流リアリズムは反転を迫られる。

 さらに国会に四六時中拘束される実態に、仙谷は驚きを覚える。これでは自分のスタッフと綿密な打ち合わせをする時間も奪われてしまう。現場感覚を離れて職業としての政治家は務まらぬ。しかし仙谷は自らいう「国会のとらわれ人」の渦に結局巻き込まれずにはいられなかった。かくて国会の現場は仙谷流リアリズムをもはねつける。

 だが明らかに政権交代をしたらなすべき重点項目の一つが、仙谷にとってはガバナンスそのものであった。仙谷の比喩は巧みだ。いかなる企業にも人事労働担当重役がいて、労働組合と対等に話さねばならない。この発想が政治家と官僚との関係にも必要だと言う。自民党の政治家はこんな発想をしない。しかし仙谷は、追い打ちをかけるように、企業のコンプライアンス重視の流れの中でも、政党には「政党経営術」「政党経営学」すらないと言い切る。しかもその点では自民党も民主党も同じであると。

 民主党3代の政権の中で、仙谷が最も仙谷たりえたのは、菅政権で首相官邸の司令塔になった時であろう。あらかじめ目をつけておいた人物を官邸に秘書官クラスで引きずり込む。官僚や民間人も考え方と人柄を知って活用する。彼らは何よりも情報のアクセスポイントとしてかけがえのない存在だ。そこでチーム仙谷を始動させていく。それは、あたかも裁判に臨む仙谷弁護団といった趣になる。

 官邸のガバナンスは、一方で多くのステークホルダーに目配りしながら統合を進めること、他方で民意を聞くという民主主義の精神を反映させること、この二つの案配で決まるというのが、仙谷流ガバナンスに他ならない。しかしメディアと共に常に民意が動くのにどう対応するかが難しかったと仙谷はふり返る。この点で仙谷流リアリズムは、理念・理想・イデオロギーといったアイデアリズムと際どくせめぎ合っている。しかし民主党の中にあって、仙谷は野党時代との峻別(しゅんべつ)を常に考えていた。運動論は野党ならばいい、与党になったら「遠望するまなざし」を持ちながら現実対応ができなければ、それは仙谷流の政治ではないのだ。

 だからそれは菅の政治への批判に転ずる。原発問題で再生エネルギーと原発ゼロに賭ける菅の行動は、仙谷にはあまりにも現実離れしたものに映る。二者択一で語れるほど原発を含めたエネルギー問題は容易ではない。もっと重層的、波状的に連関しているからだ。それを総選挙の争点化に利用しようというのは、いかがなものか。逆に菅を筆頭とする原発ゼロ派は、政治がすべてを仕切れるという幻想に陥っているのではないか。持続可能な政治体制を作るために、国民が自律的に動ける環境整備ぐらいしか政治にできることはないというのが、仙谷の政治観であり、彼流の「プラグマティズム」(実用主義)なのだ。

 だがこうした仙谷の政治へのまなざしでは結局は党内の原発ゼロ派の動きを封じられなかった。さらに、ねじれをおこした国会での野党への対応においても、功を奏さなかった。仙谷が参議院の問責決議を受け官房長官辞任に追い込まれたのは、その典型例だ。追い込まれている与党席を救わんがため何でもかんでも答弁に立つ仙谷の姿は、弁護士活動ならばかくあらんという弁論術にたけた答弁になり、時に自衛隊を「暴力装置」とつい呼んでしまううかつさを伴い、与野党を共に納得させる「熟議デモクラシー」とはほど遠い結果を生んだ。それこそ野党自民党を、政治のリアリズムの達人、仙谷さえ倒せばとの大合唱に集結させることになってしまった。弁護士としてのリアリズムの限界が、そこにははっきりと見える。仙谷流ガバナンスは、官邸では生かされたものの、国会では文字通り空転してしまったのだ。

 ◇課題は政党経営学

 実は、仙谷は自民党の政治家として野中広務を高く評価する。それはなぜか。1998年の金融国会の折の与野党折衝で、両者はお互いの政治的力量を買ったのだ。「お主、よくやるよのう」的な、お互いの中にお互いを見る感覚だ。だとしたら仙谷の政治は、自民党でも、ギリギリの際どさをもった野中タイプの政治とはどこかで引き合うわけである。

 野田政権は、仙谷流の政治を全面的に退けた。野田のある種の保守感覚が、仙谷を危ういと認めたからに他ならない。落選した今、道半ばの思いが、仙谷には強いはずだ。

 仙谷に残された課題は多い。まずは、自民党の似姿にはならぬ民主党独自のプラグマティックなガバナンス論、すなわち「政党経営学」を構築せねばならない。そして見るも無残な「決められない政治」からの脱却を図ることだ。

 新橋のちょっとワイザツで昭和30年代を懐かしむようなビルの一角で、「仙谷流」にいかなる花が咲くのか。仙谷によって今度こそ国会に大輪の花を咲かせてみたいと願うのは、私ばかりではないはずだ。<絵・黒鉄ヒロシ>

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 ■人物略歴

 ◇せんごく・よしと

 1946年生まれ。90年衆院選で日本社会党から初出馬、初当選(旧徳島選挙区)。96年に社民党を経て旧民主党へ合流した。著書に「エネルギー・原子力大転換」。

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 ■人物略歴

 ◇みくりや・たかし

 政治学者