イラクへのアメリカによる侵略戦争に私たちは荷担してはならない。

2003.12.13 徳島駅前にて 

衆議院議員 仙谷 由人

 日本の自衛隊がつくられて始めて、あまり目的もはっきりしないままに、国境を越える。極めて歴史的な、とんでもない事態になりました。

 明治以降の日本の歴史を振り返ってみますと、日清日露戦争と、満州事変以降の第二次世界大戦には一つの大きな違いがあります。

 日清日露戦争は、どの時点で遼東半島での闘いを終えるか、明治の元勲達が引き時を考えながら、やむなく戦争をしたと言われています。しかし、日中戦争に始まる、いわゆる太平洋戦争、第二次世界大戦は「欲しがりません勝つまでは」などという馬鹿げたスローガンのもとに、どこで終えるか、日本の実力はどのくらいか、世論はどうなのか、国民はどういう状態になるのか、全く考えずに始められました。

 この違いというのは、政治家が、軍事にさわるとき、何を覚悟しなくてはならないか、十二分に重みを持つ事柄だと思います。

 今度、日本は、アラブに自衛隊を出します。いつ帰ってくるのか、どういう状態になったら帰ってくるのか。三〇年前のベトナム戦争のときに、日本がアメリカに協力して、ベトナムに自衛隊を送っていたらどういう状態になっていたか、このことを考えれば、極めて明らかだと思います。

 アメリカは、イラクに大量破壊兵器があろうとなかろうと、アラブを民主化するというお題目で、乗り込みました。歴史を知り、アラブの風土を知っている人は、そんなことは夢物語だとわかるはずです。イスラム教とキリスト教の間の闘いというのは、そんなに生易しいものではありません。

 ところが、ブッシュ政権は、イスラエルをどうやって守るか、アラブの石油利権をどう獲得するか、このことに狂奔しました。日本は、これにどこまでおつきあいをするのか。ここが、国連中心主義と、アメリカの言いなりになるかの境目です。

 アラブの人間からみれば、単なる外国人の侵略としか見えません。しかも、イスラムと徹底的に敵対するキリスト教徒が、軍事的に制圧して乗り込んできている。その上、今の生活状態が、フセインの治めていたときより、経済的に悪いとすれば、住民の間に不満がつのるのは当たり前で、そこから彼らの抵抗、ゲリラ活動が始まっているのです。ゲリラが、ごく一部のものだけで出来ないことは歴史が証明しています。人民の海の中に沈んだゲリラを探そうと思えば、無差別大量虐殺をしなければ出来ません。

 こういう事情をわかりながら、アメリカの軍事占領ですら、あの程度の治安しか作れない場所に、自衛隊はなにをしに行くのか。

 自衛隊が行って役に立つのは、いいか悪いかを別にして、アメリカの治安維持活動に協力をすることしかない。これは、軍事占領の一翼を担うということです。そんなことを、今、日本がやることにどんな意味があるのか。

 そして、このことが、いつまで続くのか、ずるずると泥沼に足を引っ張りこまれるだけでないのか。どのような状況で終われるのか。このことを考えないで、アメリカの言いなりに、「アメリカとの友情が壊れる…」そんな感情的な、感性的な、判断で、自衛隊を出されたら、日本国民は、悲惨なことになるんじゃないですか。

 初めから、ボタンを掛け違えたアメリカのイラク戦争。その戦後処理、戦後の統治。最初からの枠組みを変えない限り、間違いに間違いを重ねる。日本の満州国建国のような、ばかばかしい間違いになってしまう。

 そこで、日本人が血を流す必要は全くない。日本には、イラクに対しても、もっともっと出来ることがあります。アメリカ主導というよりも、アメリカの勝手な枠組みにおつきあいする

必要は全くない。

 国連のアナン事務総長や、ヨーロッパ各国が言うように、早く国連の旗の下で、イラクのこれからの戦後の統治を考える枠組みを作り直すことが先決です。そして、国連に対して、世界第2位のお金を出している日本として、ものも言う、人も出す、金も出す、中東の安定のために、アラブの安定のために、日本ならそれくらいの協力をやるべきだと思います。