171-衆-法務委員会-4号 平成21年04月03日



○仙谷委員 きょうは、法務委員会で裁判員裁判の開始に当たって集中審議をされるということでございます。

 民主党は、この裁判員裁判について、果たしてうまくできるのかどうなのか、国民の心からの賛意を得られる制度に育てることができるのかどうなのか、運用がうまくいくんだろうかという、いろいろな不安や懸念を背景にいたしまして、この間、プロジェクトチームをつくって、何が問題になりそうなのか、そしてそれに対する対応をどう考えておけばいいのかということで検討をしてまいりました。そして、一昨日の次の内閣で、裁判員制度実施に向けた環境整備等に関する意見書というのをまとめまして、私どもが考える点を指摘しておきました。

 要は、この裁判員裁判は、司法への国民参加、司法を国民の手に取り戻す、そのことを通じて司法をより民主的なものにし、国民の信頼を受けられるものにしなければならないというところが眼目でありましょう。そして、なおかつ、刑事裁判である限り、被告人の防御権が全うされなければならない。裁判員裁判によってかえってそのことがある種のショービニズムといいましょうか、メディア報道とも相まって、被告人の裁判を受ける権利あるいは公正な裁判を受ける権利、そして防御権というものが侵されるというふうな本末転倒になってはならないということを考えてきたところでございます。

 そういう観点から、きょうは一、二、この裁判員裁判を運用するに当たって我々が考えておかなければならないこと、そして裁判所あるいは検察庁、検察官にもぜひ強く留意をしていただかなければならないということを、私どもの方から質問という格好で指摘をさせていただきたいというふうに思います。

 まず法務大臣にお伺いをするわけでありますが、日本の裁判は、ある意味でキャリア裁判官による裁判という形で、いわば明治維新の大津事件という困難な事件を通して司法権の独立を確立したというふうに言われておるわけでありますが、そこからキャリア裁判官による裁判が続いてきたわけでありますけれども、これについて法務大臣はどのような評価をされているのか、つまり、どういうプラスがあって、どのようなデメリットといいましょうかマイナスがあったのか、そのことについてお考えをいただければと思います。



○森国務大臣 私は、基本的に言って、これまで日本の裁判というのは、どこに比べても引けをとらないぐらいきちんとなされてきたというふうに基本的には思っております。ただ、やはり今おっしゃられたキャリア裁判というか、極めて一握りの専門家によってつかさどられていた裁判でございますので、そういう意味ではやはりいささか、ある意味で一般の常識とか国民の感覚とかから若干隔たりができている面もなかったわけではないと思います。

 それから、加えまして、必要以上に時間がかかって、また、なかなかその結論が出ないというふうな弊害もあったわけでございまして、そういったことも含めまして、私は、今委員がおっしゃられたように、そういったすぐれて専門家集団でなされていた司法に国民の常識とかあるいは感覚とかを導入して、より国民に根差した裁判が行われるようになるということは極めて意義深いことであるというふうに思っております。



○仙谷委員 的確に近いところまで御認識をいただいておるようでありますが、つまり、一つは、裁判が別に閉鎖された空間で行われているわけじゃないんですが、新聞やテレビの報道による以外、国民が傍聴に行こうというほど暇ではないといいましょうか、あるいは国民の日常の関心の外側に多くの裁判が置かれているということが一つの理由でありましょう。

 さらには、こういう言葉、こういう文章が、私には昔からひっかかっておったわけであります。

 それは、石牟礼道子さんという大作家でありますが、石牟礼道子さんが、チッソの刑事事件というのがあるんですが、それにずっと通われて、傍聴をされた後、「魂の言葉を紡ぐ」という本の中で、「法廷で原告側と被告側の弁護人がやりとりをするのですが、法律的な問題の立て方がまずピンと来ない上に、使われる言葉は自分たちの生活実感からあまりにかけへだたっています。魚をとったり畑を耕しているときには絶対に使わないような、実に味気なく内容の薄い言葉で終始やりとりされますから、裁判に勝っても、どうも勝った気がしない。」というようなことをおっしゃっているんですね。

 二十年ぐらい刑事裁判を、あるいは民事裁判もそうでありますが、やった経験からいいますと、どうも裁判所の中でのやりとりというのは、ある種、プロ集団といえばプロ集団でありますが、法曹三者の共通言語でやりとりされて、どうも概念、法律用語の意味が常識とは少々違う部分があるということもあるんでしょう、あるいは共通言語が符牒のように聞こえるということもあるのかもしれません。

 そんなことで、国民の多くは実態的な理由、つまり、裁判を見に行くほど暇ではないというふうな理由とか、大きい事件は新聞、テレビ等で報道されるということもあるんでしょうけれども、つまり、それはまあ興味本位の報道の場合が多いわけでありますが、そういうところからも阻害をされているし、共通言語に入っていけないというところからも、大いに裁判からは普通の国民といいましょうか、一般の国民はまさに阻害されているという状況が続いてきたというふうに思います。

 そんな中で、ある種、国民の監視が行き届かないといいましょうか、国民に実質上オープンにされない空間で、裁判官、検事、そして弁護人のやりとり、そこに刑事事件の場合は被告人という存在がおるわけでありますが、やりとりが行われてきた。最近では被害者側からのストレスも大変強いようでありますけれども、被告人の側、弁護人の側からいっても、そこで行われていることが、果たしてこんなことでいいんだろうか、とんでもないことがやられていると。

 それはそもそも、もとを正せば、刑事事件の場合には、捜査の密行性、つまり、こここそ閉じられた、要するに、外には明らかにしてはならないという前提の空間の中でつくられた証拠で基本的には刑事裁判というのは運ばれるわけで、特に刑事事件の主導権というのは、実質上は検察官がつくった、あるいは集めた証拠をもとに主張がされ、そして法廷はそこから始まっていって、そのことが裁判官によって肯定されるかどうかという形で終わる、こういう仕掛けになっておるものですから、こういう筋道になっておるものですから、どうしても捜査の密行の中での、密室の中での検察官がつくったプロット、筋書きに従って進められるという場合が多いわけであります。

 そこで、刑事弁護人からは、日本の刑事裁判というのは調書裁判である、そしてさらに、被告人、被疑者の身柄を拘置所にとどめ置くことによって裁判が進行するということになれば、人質をとって刑事裁判を進めているようなものである、人質司法であるというふうなことが言われてまいったわけであります。

 今度は、裁判員裁判をするという前提で、刑事訴訟法三百十六条の二以降ということでありましょうか、公判前整理手続ということが規定をされまして、公判廷を開く前に、主張と証拠調べの中身と順序というようなものも含めて、まずはそこで法曹三者あるいは被告人を含めて整理をするんだ、そして、その後公判廷が開かれれば、効率的に集中審理で行うんだ、こういうことにするんだということに、刑事訴訟法の改正もそういうふうになされてなったようであります。

 早い裁判というのは、今法務大臣がおっしゃいましたけれども、これはある意味で、第一義的に被告人にとっても、あるいはそれを見ている国民にとってもいいことであります。

 だけれども、早い裁判ができなかった理由というのは、集中審理で早くできなかった理由というのは、それはいろいろな理由があるわけでありますが、私は、弁護士、弁護人の経験からして、実は日本の刑事裁判、そして刑事被告人になった場合の御本人たちの最も大きな理由は、刑事事件にはお金をちゃんと払える被告人というのがほとんどいないというところにあると思います。つまり、弁護料を、そういう少々大きい額の報酬を払う、つまり、弁護人の弁護、労働に見合う、そして事務所維持を賄えるだけの報酬を払える依頼者というのは、刑事事件の被告人はほとんどいない。

 したがって、集中審理に専念するとなると、先般も今も刑事事件をやっている弁護人とちょっと話をしましたけれども、結局、一時間の法廷をやるためにどのぐらいの時間がかかるか。つまり、調書を読み、調査に赴き、接見に赴いて被告人と打ち合わせをし、判例を当たり、それから参考書といいましょうか原典を読み、自分で文章をつくるということの作業にどのぐらいの時間がかかるだろうか。十倍ぐらいかかるだろうか、百倍ぐらいかかるだろうか、こういう話をしてみたわけであります。

 つまり、法廷で見える姿、その何十倍もの時間をかけないと、良心的なといいますか丁寧な裁判はできないわけですね。その時間を賄い得る費用を払える被告人というのはほとんどいないというのが、実は集中審理に弁護人も踏み込めなかった大きな理由であります。

 今度、公判前整理手続を、時間をかけて、ある種、早期にということも書いてありますが、具体的に、検察官の主張をまずさせて、それに従って証拠調べをやる、順序を決める、集中してそういう証拠調べをやるんだということをやるこの公判前整理手続も、随分時間がかかる。あるいは、ここをこそ丁寧に具体的にやらないと、いい審理はできないと思います。そうなると、弁護人は公判前整理手続にもエネルギーを割かなきゃならない、時間を割かなきゃならないということになります。

 しかし、公判前整理手続をやらなければならないわけでありますが、多分、刑事弁護をまじめに真剣に取り組んできた弁護人にとっては、この中で検察官手持ち証拠がどのぐらい開示されるかというのがやはり最大の関心であり問題だというふうに、私の経験上もそうでありますが、理解をしております。

 この点について、まずは手持ちの証拠リストを全部開示するというふうな方針で今法務省がいらっしゃるかどうか、そのことについてまずお尋ねをしたいと思います。



○大野政府参考人 証拠開示に関するお尋ねでありましたけれども、今委員御指摘のように、改正刑事訴訟法によりまして、公判前整理手続におきます証拠開示の方法が定められております。

 一番最初に、検察官が法廷に提出しようとするいわゆる請求予定証拠を開示するわけであります。その前に、検察官の予定主張を明らかにするわけでありますが。そうした証拠開示に対しまして、開示された証拠の証明力を争うために、弁護側が今度はそれに関連する、類型証拠と申しますけれども、類型証拠についての証拠開示請求が行われる。その後、弁護側が主張を明示することになるわけでありますけれども、そこで明示された主張に関連する証拠について、今度は第三段階目の証拠開示が行われる、こういう手順になっております。

 そうした証拠開示の要件等については、もちろん刑事訴訟法に規定がございますし、また、そうした証拠開示の要否につきまして弁護側と検察側との間で意見が合わない場合には、裁判所に裁定請求を行って裁判所が裁定をするという仕組みも設けられているわけでございます。

 ただ、検察の現場の実情について申し上げますと、そうした法律の仕組みはございますけれども、目的とするところは、証拠開示の弊害を避けつつ、迅速的確な審理計画を立て、争点を整理するということでありますから、そうした証拠開示請求に対しては、基本的に、できる限り誠実に対応していこうということでやっております。

 実際に、弁護士会等からも、検察庁の証拠開示に対する姿勢といいましょうか、これは新しい手続ができた後、格段に出る証拠がふえているというような話を伺うこともございます。



○仙谷委員 従来は、ともすれば、国民に有利な資料になる可能性のある証拠を検察官が、その存在を示すことを嫌がったり、それから、それを指摘されても、いやいや、私どもはそんなものを証拠請求するつもりはないということで隠したりというか表に出さなかったり、要するに、証拠開示をめぐって裁判所で争われて、大変長期にそれがかかるということがあったわけであります。

 さらに、今局長がおっしゃった、第三段階の関連する証拠というふうなものについては、ほとんど存在を認めなかったり、あるいは、証拠請求はもちろんしないし、開示もしないというふうなことがあったわけであります。

 今、ここで最近の高裁判例、最高裁判例というふうなものを改めて見てみますと、犯罪捜査規範により、警察官、検察官が作成及び保存が義務づけられている備忘録というふうなものについて争いが随分あるように読み取れます。近年、平成十九年ですか、広島高裁の平成十八年の事件、名古屋高裁の平成十九年の事件を引用しながら、それに反論して、検察官の特別抗告を棄却した最高裁の決定というのが出ております。

 こういう観点からいうと、証拠開示の請求があった場合に、この種関連する証拠についても、まずは裁判所のインカメラによる証拠物といいましょうか、あるいは証拠書類の検討に速やかに付す、そういうふうなこと、あるいは開示命令、開示に関する裁判所の決定を受けて、円滑な整理手続あるいは公判の進行に資するように積極的に協力するんだという構えは、法務省にはおありになるんでしょうか。



○大野政府参考人 備忘録をめぐります証拠開示の要否につきましては、確かに今委員御指摘のように検察側の考えと弁護側の考えが食い違っておりました。これは最高裁まで行きまして判断が示されたわけでございます。

 したがいまして、当然検察側としては、今後、こうやって最高裁の示した判断に沿って運用をしていくということになるわけでございます。



○仙谷委員 従来、備忘録以外の問題、証拠物等々に関しても、どうも現在行われている公判前の整理手続でも、存在しないというふうな釈明を堂々となさる場合が多いようでありますが、弁護人がある種の特定をして開示の要求をしたときに、ちょっと表題が違うとかなんとかで存在しないとかということを、割と私どもも言われてきたわけであります。

 その問題以前に、手持ち証拠のリストを全部開示すれば、存在しないとか存在するとかという矮小な議論にならないで済むと私は思っておるのでありますが、この存在しないと言う検察官が、事前の公判前整理手続の中で釈明をするということではなくて、これは、全面的に証拠リストだけはまずは開示をするというか提示をするということが必要だと思っておるのでありますが、その点はいかがですか。



○大野政府参考人 今御指摘の点は、検察官手持ち証拠の全面開示あるいは手持ち証拠リストの開示という御主張かと存じます。この点につきましては、今回の刑事訴訟法改正の立案の段階でもかなりの議論がございました。

 確かに、証拠開示を広く行うということは、一面、弁護権をそれだけ手厚いものにするというような長所がある反面、他方で、客観的には証拠開示の必要性がない、つまり事件の関連性がなく、しかも、逆に関係者のプライバシー等に悪影響を及ぼすという弊害のあるような証拠もございます。

 そうなりますと、そうした証拠が、いわば無限定に開示されていくということにやはり弊害があるではないかというような議論の中で、先ほど申し上げましたように、争点整理、証拠整理と結びつけた形で、開示の必要性と開示に伴う弊害の双方を勘案して、逐次証拠開示を進めていくというやり方が採用されたわけであります。そして、弁護側には、従来は認められていなかった開示請求権というようなものも認められたわけでありますし、先ほど申し上げた、裁判所による裁定の仕組みも導入されたわけでございます。

 そうしたことで、全面開示をすべきである、あるいはリストを開示すべきであるという御主張はございますけれども、現行法に盛り込まれたそうした証拠開示の仕組みを活用していくことによって、その弊害とメリットの双方を調整して実現するような現在の仕組みにそれなりの長所があるんじゃないかというように考えているわけでございます。



○仙谷委員 いや、私が言っているのは、すべてを全面的に開示せよなんてことを言っているんじゃなくて、まず証拠リストを提示する必要があるんじゃないかと。

 その中に、これはプライバシーに関するものだから、あるいは事件との関連性が全くないからとかいうことをちゃんと提示しながら、開示を自分の方が必要がないという理由を公判前整理手続でおっしゃれば、果たしてそうなのかどうなのかということを裁判官が、例えばインカメラで見るというふうな方法で開示請求を、これは開示まで必要ないじゃないですかということが、裁判官と、その三者の間で協議をすれば、それは容易に解決のつく話だと私は経験上も思っているわけですね。

 それを、検察官の裁量権の頭の中で、つまり、そんなものは開示の必要性がないんだという検察官の判断だけを示すことによって、その判断が合理性があるのかないのかということは検証されないわけですから、その場限りでは。だから、まずは証拠リストは示して、そういう意見をおつけになるということが望ましいというか、そうしないと、今までと余り変わらない、悪くすると変わらないことになってしまうんじゃないかということを申し上げておるんですが、いかがですか。



○大野政府参考人 私、先ほどお答えしたのは、確かに手持ち証拠そのものの全面開示について申し上げました。今委員の特におっしゃいましたのは、リストの開示ということでございました。

 このリストの開示につきましても、立法過程の議論で申し上げますと、供述調書、鑑定書、証拠物といった証拠の標目だけが記載された一覧表を開示しても、これは意味がない、わからないということになります。そうなりますと、今度は、その一覧表に証拠の内容や要旨も書き込まないと、確かに何が中身になっているのかわからないということになるわけでありますけれども、そうした一覧表に中身を書くということになりますと、開示の必要性やあるいは開示に伴う弊害を度外視して検察官手持ち証拠をすべて開示するのに等しいことになりまして、やはり適当ではないのではないだろうかというように考えております。

 また、手持ち証拠と申しましても、非常に膨大でございます。それにつきまして一覧表を作成するということは、現実的に見て必ずしも現実的ではないのではないかというような問題点もございまして、そうした主張は立案段階でもございましたけれども、結局採用されなかったという経過がございます。



○仙谷委員 さはさりながら、そうはおっしゃるけれども、結局、刑事事件の弁護人が最も苦労するのは、どこかに隠されておった検察官手持ち証拠の中にアリバイを証明するものがあったり、あるいは有罪立証を崩す反対有力証拠があったりしたという歴史的経験に基づいて、私もそういう経験を何度かしていますから、それで申し上げているわけなんですね。

 だから、おっしゃった、プライバシーとか、立証とほとんど関係ないということならば、そういう注記をして、別にその中身をそこへ書く必要はないわけで、標目ぐらいは、リストぐらいは全部さらさないと、やはり検察官はどこかに検察官の立証にとって不利な証拠をお隠しになっておるのではないかということになるわけで、そういう事件になった場合に、これは三日や四日や五日で裁判を終えるとか、そういう簡単なものじゃなくなってくると私は思います。

 公判前の整理の手続でそこのところこそ詰めてやっておかないと、ただでさえこれは拙速裁判になる可能性があるなというふうに、非難を受けない裁判期間といいましょうか時間を実現するためには、この開示の問題と次の次に申し上げる保釈の問題を解決しておかないと、弁護権、防御権を全うすることはできないと思いますので、これは裁判所でまた争われることになるのかもわかりませんが、この問題が絶えず絶えず裁判所で蒸し返して争われるというようなことは、裁判員裁判といいましょうか、短期間の集中審理がうまくいかないということになりますので、この点は、検察庁、法務省はよくお考えになった方がよかろうかなと思っております。

 次に、二号書面請求というのがあります。私ども、争う事件を担当する弁護人からいえば、こここそ大問題。普通の方は、この三百二十一条一項二号による二号書面請求というのが、こここそすべての裁判になった人の恨み骨髄の規定になっておるわけでありますが、今度は、公判での証言といいますか、公判廷に出て調書も朗読をされた、そのことをもってもし調書が証拠とされることになっても、そのことをもって、つまり、公判での直接主義で裁判が進められるという前提になっておるようでありますから、検察官の立証のやり方についてのこの二号書面請求について、どういう方針をお持ちなのか。つまり、なるべくこんなものを請求しないでもいいような立証にするという気構えなのかどうなのか。従来は、もう二号書面を請求することは当たり前だというふうな立証方針で刑事事件というのは進んでおりましたが、この点、いかがでございますか。



○大野政府参考人 裁判員裁判は、やはり公判で裁判員に心証をとっていただくわけでありますから、その意味で、公判における証人尋問に主力が注がれることは申すまでもございません。

 ただ、公判における証言が捜査段階の供述調書、供述と食い違う場合もあり得るわけであります。ただ、そういう場合も、やはり裁判員にきちっと心証をとっていただくという観点、あるいは直接主義といいましょうか口頭主義の観点からすれば、できる限り公判における証人の弾劾によって真実を証言してもらうということに力点を注ぐことになろうというふうに考えております。

 ただ、その場合でも、どうしても真実の証言が得られないという場合には、やはり刑事訴訟法の規定に従って二号書面を請求するという場面もそれは残るだろうというふうに考えております。



○仙谷委員 特に信ずるべき情況になければ二号書面というのは本来は採用されないんですが、裁判所の方も割と安易に、二号書面が請求されたら、はい、ではいただきましょう、あとは信用性の問題ですみたいなことで採用してきた嫌いがあるわけですね。

 この特信性問題とも関係するわけでありますが、要するに、自白の任意性、それから、相共犯者の供述というふうなものがどういう状況下で検察官や警察官に対して供述されたのかということは、ちょっと考え方が違う、レベルが違う問題でもありそうで、しかし、実態の生の事実としては、調べに対してどのような態度でどのように供述をしたか、その前後関係はどういうときにそういう供述が出てきたかどうかということに関する問題だと思うんですね。

 被告人、被疑者の供述についての可視化の問題、取り調べの可視化の問題というのがあるわけでありますけれども、この二号書面を出す場合の特信性情況をもし立証されようとするのであれば、これこそ、ちゃんと録音、録画をして提示をすれば、法廷に出せば、これにまさる特信性の証拠はないというふうに私は思っております。

 だから、相共犯者とか、あるいは結果として被疑者にはならなかった、つまり共犯者として被告にはならなかった人の供述というふうなものがとられた経緯を、二号書面請求をするとかなんとかということをおやめにならないのであれば、この取り調べの可視化の問題として、やはり全面的な可視化、つまり、現時点で言えば、そこに固定カメラがついていますね、これで取り調べ期間中延々と、だれも、こういう固定カメラのことを意識してしゃべっている人はほとんどいないと思うんですよ。これを、今の録音技術といいましょうかデジタル化された技術だと、非常に廉価に全面的に録画できるわけですね。

 これは実は、この種のものは、編集もしやすいけれども、時間との関係で、何時間全面的に録画してあるものですということは、そこのところがわかれば編集のしようというのは余りないと思うんですね。それで、不要になったものはまたもう一遍使える、別の場面を映すことができるというのがこのデジタル化された技術でありますから、これは部分的な可視化とかなんとかややこしいことを言わないで、特信性立証のためにも可視化を全面的にお進めになったらいかがかと私は思うんですが、いかがですか。



○大野政府参考人 今委員が御指摘になりましたのは、二号書面の採否との関係で、特信性を立証するために取り調べを可視化したらどうか、こういうお話でございました。

 ということになりますと、いわば可視化の対象になる取り調べは参考人の取り調べということになろうかと思うわけでありますが、参考人につきましては、これは訴訟手続の話になりますので釈迦に説法でございますけれども、参考人の供述調書を証拠請求し、弁護側がそれに同意しない場合には、その書面は基本的には証拠にならずに、証人尋問の形になるわけでございます。

 そうしたことから、任意性が認められれば直ちに証拠として受容されるという被疑者の場合とまずちょっと局面が違う場面があるということを申し上げたいというふうに思います。

 それから次に、それでは参考人の取り調べでありますけれども、参考人は千差万別でございます。目撃者あるいは街角で事情を聞くような場合もあります。捜査現場からいたしますと、最近は非常に参考人の協力を得ることが難しいわけでございます。

 そうしたことから、参考人になるべく負担をかけないで事情を聞くというような観点からすると、録音、録画を義務づけるということはいかがだろうかというふうに考えております。

 ただ、身柄が拘束されている被疑者が、共犯者との関係では、実は参考人といいましょうか、そういう立場に立つ場合がございます。実際に検察が録音、録画を試行しているのは、これはもちろん任意性の立証のためでありますけれども、特信性の立証のために用いた例がございます。これは裁判所によって受け入れられておるところでございます。



○仙谷委員 刑事局長、余り私の質問を散らさないで。

 私が言っているのは、街角の話をしている話ではないんですよ。あるいは任意で調べを、まあ任意の場合も、検察庁とか警視庁の取り調べ室へ連れ込んでやる場合には、私は、いざというとき、やはりちゃんと録画したのを、全面録画したのを持っていらっしゃる方がむしろ捜査側にとってもいいんじゃないかと思います。

 二号書面請求というのは、共犯者だけれども別法廷で行われているとか、あるいは釈放されたとか、我々から見ると、弁護人から見ると、おい、この検事と共犯者はどこかで取引したんじゃないかみたいな、こういう話を、ちゃんと録画しておけば、あらぬ疑いもかけられないで公平な判断を受けられるんじゃないか。だから、むしろ取り調べ官署の中で、役所の中で、検察庁や警察関係調べ室の中でやる分については、全部固定カメラでちゃんと録画しておけば問題ないじゃないんですか、こういうことを言っているわけであります。

 時間が少なくなってきましたので、裁判所にちょっと聞いておきます。

 今度の裁判員裁判の中で一つの大問題は、評議の問題であります。全く経験のない裁判員に対して、いろいろ裁判官が評議の前に説示をされるのか何か知りませんけれども、やはり裁判所のある種の、よくもあしくもリーダーシップといいましょうか、これがないと、なかなか裁判実務としての評議が実質的に成立しない可能性があるのではないかと思います。

 そのときに、今どうも模擬裁判を見ていますと、裁判官の方から、被告人というのは有罪になるまで無罪である、推定無罪である、無罪推定がまずは働くんだということをおっしゃる裁判官が全くと言っていいほどいないというふうに聞くのでありますが、このことと、有罪というのは、要するにゼロから出発して有罪認定するに合理的な疑いを入れない程度の立証ができているかどうか、このことなんだということを、ちゃんと素人さんにわかるように説示の中で説明されることになっているんでしょうか。いかがですか。



○小川最高裁判所長官代理者 お答え申し上げます。

 今の御指摘の点は証明の程度ですね。検察官が立証責任を負うという、それからそれは合理的な疑いを超える程度の立証が必要であるということ、それから証拠裁判主義でございますね。

 そういった重要な裁判の原則というのは、裁判員を選任したその後に、検察官と弁護人がいるその場で御説明をするというようなことになっておりますし、実際の審理の中でも、検察官もあるいは弁護人も、個別の事件の審理の中でそういうことに即して主張もされますし、それから評議も、いろいろ中間的なところもありますが、そういう中でも、事件に即して裁判官の方から、今言った原則的なものというのは御説明をするというようなことになっております。



○仙谷委員 時間がございませんので、この辺で締めくくりに入りますけれども、要するに、刑事裁判にとって一番重要なことは、予断排除の原則というのがありますけれども、今のマスコミ状況といいましょうか、それとの関係でいいますと、特に重罪事件の場合には、ある一定期間は相当の報道量があります。悪性の報道があります。この間は、例えば小沢代表の事件についても、訴因とは全く関係がない、玄人が見れば、それはいつの話をしているんだと。五W一Hで、いつ、だれが、どのようにしたのかという点を全く混同して、もう膨大な情報があります。重罪事件の場合にはなお、推測も含めた、おもしろおかしいようなことをどんどんテレビ、新聞でもなされる場合が相当あります。

 弁護人の技術は、余り早々と、拙速な裁判に協力するような格好で、検察官の言うことにゴムのスタンプを押して刑務所へほうり込むようなことのお手伝いをしてはならないというのが弁護人の仕事の一つだというふうに、大体伝統的には教えられてきているんですよ。要するに、拙速裁判をいかに避けるのか。ほとぼりを冷まして、真実をどうやって発見するのかということが一つの重要なテーマなんですよ。

 ところが、今度の裁判は、三日で終わるとか四日で終わるとか、そういうことをうたい文句にして、多分一割ぐらいは存在、あるいはもうちょっと存在するかもわかりませんが、争いのある事件、それは情状についてだけの争いなのかもわかりません。あるいは訴因そのものについての争いかもわかりません。こういうものを、特に裁判員の皆さん方の御迷惑、御苦労を考えると早くやらなければいけないということで拙速になって、被告人の防御権が侵されるということだけは避けなければならない。つまり、そのことをやって冤罪がそこで生まれた瞬間に、この裁判員裁判の権威というか信頼は大きく揺らぐと私は思っているんですね。

 そのことについて、裁判所のお考えをお聞きして終わりたいと思います。



○小川最高裁判所長官代理者 お答え申し上げます。

 刑事裁判の目的は、被告人の権利を保障しつつ、事案の真相、これを解明していく。これが損なわれてはいけませんので、とにかく早くやればいいということではないと思います。ですから、必要な審理は必ず尽くすということであろうと思っております。



○仙谷委員 裁判は生き物ですから、ぜひそのようにしていただきたいと思います。

 終わります。