国民の権利としての国民投票の確立のために

憲法調査特別委員会における発言   2006年6月15日

○中山委員長 次に、仙谷由人君。

○仙谷委員 仙谷でございます。

 私は、民主党及び与党が憲法改正並びに国政における重要な問題に係る国民投票法案をこの国会審議に供した、このことは、国民が国の形、憲法について直接主体的に意思表示を行うための枠組みがつくられようとしている、そう積極的に位置づけるべきだと考えております。このことは、国民主権制の深化、日本の民主主義の豊富化としてとらえるべきだというふうに考えます。

 省略して、いわゆる一般国民投票法案というふうに言いますが、国民投票法案、この審議自体を憲法改悪の一里塚として、憲法改悪を阻止する運動論や政治論に基づいて、この国民投票法案の審議自体あるいは投票法案を論難するということは、論理的には国民の主権者としての憲法制定権限あるいは改定権限を否定することと同義であると言わなければなりません。

運動論や過度の政治主義ではなく、国民主権の深化・豊富化として

 いわゆる「護憲論者」が、生きている憲法秩序や憲法体系が幾ら変化しようとも、あるいは憲法事実が変転をしようとも、憲法条項の文言が変わらなければ憲法を守ったことになる、そういう立場から、そのために国民の主権者としての意思の最も根源的で直接的な意思表示を行うこと、すなわち国民投票の枠組みづくりを妨げるということになるのでありましたら、それは文言護憲の自己目的化にすぎないと言っても過言ではないでありましょう。

 また、他方、押しつけ憲法論に基づいた自主憲法制定論からする改憲のためにこの国民投票を提案したという人たちが存在するとするならば、それは余りにも古いアナクロニズムと言うべきでありましょう。国民を被統治者として固定し、みずからを統治者として、国民をただただ国家への義務を果たすべき存在としてしか見ないという傾向の色濃い人々が、ただただ改憲運動の入り口としてしかこの国民投票法案を位置づけないとするならば、これまた国民主権と立憲主義の関係についての理解を欠いたものと言うべきであると考えます。

 運動論や過度の政治主義から離れ、国民主権、すなわち民主主義の深化と豊富化のために国民投票を位置づけることに、合意形成がこの国会で行われるべきだと考えます。

 そのような合意形成が行われるとするならば、おのずからその投票権者の範囲はできるだけ広く、とりわけ世代的に、是非弁別能力のある者には未成年者であっても憲法の選択あるいは判断機会が与えられるべきであるというふうに考えますし、国民投票運動やメディアに対する規制はできる限り最小限度で、国民投票運動あるいはメディアの報道は最大限自由であって保障されなければならないというふうに考えます。そういう観点から考えますと、民主党の提出した法案は、その合理性あるいは妥当性が明らかになるのではないかと考えているところであります。

吉野川可動堰をめぐる住民投票の経験から

 私は、住民投票条例を市議会で成立させ、その条例に基づいて、吉野川可動堰の是非を問う住民投票運動の渦中に身を置いて運動を行って、住民投票で吉野川可動堰建設反対の意思を成就させた経験を持っております。この委員会でこの種の経験を持っている方々は余り多くないというふうにお見受けをいたしておりますが、つい最近、本年三月には、例の米軍の空母艦載機の岩国基地への移設計画に関する住民投票、これを我が党の同僚、平岡秀夫議員も経験したところでございます。

 私の吉野川可動堰是非を問う、住民投票条例制定と、そして住民投票、そしてその住民投票期間中の運動という経験から申し上げますと、当時、この条例制定と住民投票そのものに対して、自民党の中央政府の実力者やあるいは当時の自民党所属の建設大臣が住民投票条例制定と住民投票そのものに反対をして、さらに、徳島県や徳島市の可動堰建設推進派の人たち、自民党所属の地方議員やその支持者も大変多うございましたけれども、その可動堰建設推進派の人たちは投票ボイコットを呼びかけたわけでございます。

 今、平岡議員にお話を伺いますと、岩国基地への米軍空母艦載機移設計画住民投票運動の過程でも、ある種の人たちが投票ボイコットを呼びかけたというふうにお聞きしたところでございます。

 他方、現時点で、この国民投票法案を国会で審議していることに消極的であったり、投票法案そのものに反対の立場といいましょうか、否定的な立場をとられる方々の所属する政党及びその支持者の方々は、徳島市の吉野川可動堰建設反対の住民投票条例の制定と住民投票については強力に推進をしたわけであります。その結果、徳島市の住民投票は五四・九九五%の投票率、建設反対九〇・一四%、同賛成九・八六%という結果になりました。

 実は、ちょっと調べてみますと、一九九六年以降、住民投票というのがある種地方自治体でも盛んになってきたわけでありますけれども、現在まで十四件あると言われております。市町村合併関係の住民投票は約四百件あるというふうに言われておりますが、いずれもその時点での住民の賢明な政治意思が表明されているというふうに私は解釈をしております。

決めるのは国民という原則を承認すべき

 つまり、国民主権あるいは住民自治、住民主権、その民主主義は、国の形、憲法や重要な施策の可否を決め得るというのは国民、住民である、簡明なこの原則が承認されなければならないのではないでしょうか。決定されるべきテーマ、政治課題に賛成であるからといって、あるときは国民投票法案や住民投票条例を推進し、そのテーマに反対である場合にこれを阻止したいということがいかに御都合主義的であしき政治主義であるかは一目瞭然であるというふうに考えております。

 日本の主権者は必ず賢明な選択、判断をすると確信しております。このことに疑念を抱くほど日本の民主主義の成熟度は低くはありません。価値中立的な国民投票法案をつくる、このことによって国民主権、民主主義が前進し、深化し、豊富化する、このことを述べて私の意見といたしたいと存じます。

 以上であります。