権利としての国民の意思表示を

国民投票法に対する発言

日本国憲法に関する調査特別委員会議録
平成十七年十月六日(木曜日)

○仙谷由人  発言の機会をお与えいただきまして、感謝をいたします。

 きょうの議論も伺いましたが、この間憲法調査会の議論に参加して、今国民投票法制が議論をされる段階に至っての感想、意見を申し上げます。

 憲法制定後五十八年が過ぎたわけでございます。そういたしますと、この現憲法の制定に意思表示を、つまりイエスかノーか、直接的か間接的かはともかくとして意思表示をし得た人は、最も若い人で七十八歳か七十九歳ぐらいにおなりになっているわけであります。多分その約八十以上の方々は、日本の現在の人口分布からいえば、多くても一〇%台ということになるのではないでしょうか。そうしますと、日本人は、有史以来というふうに言えば大げさでありますが、少なくとも明治維新、近代国家をつくろうとして以来、この憲法、つまり国の形を法規範で定める、この憲法制定に意思表示をしたことのある国民はほとんどいない、あと二十年たてば全くいなくなってしまう、こういうことになるわけでございます。

 憲法というのは、確かに私も、辻元さんがおっしゃられた、憲法は国民の権力に対する猜疑の体系である、権力に勝手なことをやらせないためのルールを定めるんだ、この立憲主義の考え方に立つものでございますけれども、その憲法をとっくに死んでしまった人たちが、民主的であれ、民主的に決めた、そういうふうに仮定いたしましても、それに生きている我々あるいは次の世代、さらにもっと次の世代が縛られるということが果たして民主的と言えるんだろうか、そのことを肯定する論理は何なのだろうかというふうに考えます。現に、立憲主義の権化であるアメリカ第三代大統領トーマス・ジェファーソン、トーマス・ジェファーソンはアメリカ合衆国憲法の起草者の一人でもありますが、死者は生者をとらえるべき理由はない、各世代はそれぞれみずからの憲法を選ぶべきだというふうにも述べているわけであります。

 一方では憲法が、憲法というのはまさにそのルールに基づいて権力が乱用されないように、そういうルールを決めたものだという立場を強く持ちながら、一方では後世代の方々が今我々が決めた憲法にどうして縛られなければならないのか。それは民主主義の原則と立憲主義がどのように衝突し、どこでどのように調整をするのか。これは重大な問題を原理的にも含んでいると私は思っております。しかし、だからこそ日本国民の国民主権の行使として、憲法の、部分であれ全体であれ、その意思表示を聞くといいましょうか、その意思表示を権利として行使できる、そういう法制は当然必要であります。

 そしてまた、皆様方もう御承知のように、これは民主主義の中でも直接民主制と言われるものの一部でありますから、いわゆる国民投票、小泉さんがおっしゃるようないいかげんな話ではなくて、シングルイシューの政策課題についても国民投票をどのようにすればできるのかということを改めて考えるべきだと思います。そして、国民投票法制というものを考えるに当たっては、できる限り年齢が若い方々にも投票権を与えるという論理的帰結になるというふうに私は考えているところでございます。

 以上でございます。