だから憲法裁判所が必要だ

       首相の靖国参拝違憲判決を受けて

           2004年4月8日 衆議院憲法調査会における発言

       (この調査会での発言が4月30日の朝日新聞に引用されています。)

 

○仙谷委員 仙谷でございます。

 昨日の福岡地方裁判所の小泉総理の靖国神社参拝に関する違憲判決というのは、非常に多岐にわたる問題を含んでいるというふうに思います。当然のことながら、小泉総理は、憲法九十九条によりまして、憲法尊重擁護の義務を負っていることは疑いもない事実でございます。一地方裁判所であろうといえども、裁判所が小泉総理の靖国参拝は憲法違反であると堂々たる判決を下したわけであります。

 私は、ある種、憲法裁判が、法律、制度あるいは政省令、条例、それに基づく政府、公務員の行為そのものを、それによって被害を受けたとか、具体的な被害ではなくて、本件のように抽象的な、いわば精神的な被害と構成をした裁判であるわけですが、ある種の具体的な事件という意味では、無理やりつくり上げた事件とも言えないわけではありません。しかし、日本の場合、こういう事件の、つまり訴訟物のつくり方をする以外に裁判所の判断を求められない、法的テクニックでこういう裁判を求めているわけであります。

 そういうある種の変形の裁判の中で、一地方裁判所が、請求は棄却しながら違憲判決を下す。そのことについて、違憲判決を下された政府は、多分控訴審でそれを訴える機会はないのでありましょう。そうだとすると、この地方裁判所の違憲判決が、政府の憲法尊重義務との関係において、どういう法律的な拘束力、効果をもたらすのか。考えてみれば、甚だ奇妙な結果になるはずであります。つまり、小泉総理は、一地方裁判所の一裁判官の判決だとして歯牙にもかけないで、これから靖国神社に参拝をし続けるのではないんでしょうか。

 ところが、一地方裁判所の判決といえども、違憲という極めて重い結論を下しているわけであります。当然のことながら、これは、政治問題としては、違憲、合憲論争が果てしなく続く。つまり、憲法を変えるか、小泉さんが靖国参拝をやめるか、どちらかの選択しか本来はないわけでありますが、これが、違憲説と、つまり、裁判所の違憲判断というのはある意味で残りますので、違憲という見解と、いや、そんなものはたかだか一裁判所の裁判官がやったことだからわしは関係ないというので、堂々とおやりになるんじゃないでしょうか。

 

憲法の自分勝手な解釈は許されない

 そうだとしますと、こういう法の支配の現状というのは、国民から見ればどうなるんでしょうか。いや、憲法は自分で解釈して自分で勝手に、裁判所が、一地方裁判所ごときが違憲と言おうと何しようと、踏みにじってもいいんだということを意味することにならないんでしょうか。私は、日本の相当多くの部面でこのような傾向があることを大変憂えておりまして、やはりどこかで決着をつけていく。

 先ほど自民党の杉浦先生のお話で、硬性憲法だから変えるんだとおっしゃるけれども、法律よりも最高法規性を持たせる憲法がそう軽々に変えられていいとも思いません。しかし、全く憲法を変えてはならないなどという態度もとりません。憲法裁判所なるものをしっかりとつくって、ここで判断をして決着をつけて、変えるべきは憲法も変える、あるいは、こういう憲法違反と目されるような行為についてはやめる、法律も廃止するというふうな、けじめのある法の支配をこれからつくっていかなければならないのではないか、そういうふうに考えております。

○山花郁夫委員 民主党の山花郁夫でございます。

 二点ほど申し上げたいと思います。

 今仙谷委員からもお話がございましたが、我が国の付随的違憲審査制のもとでは、その違憲判決の効力というのは、個別の事案に関する限りで効力を持つものだと言われているわけで、そういった意味で、今まで違憲判決、法令違憲の判決もありましたけれども、実際は、適用の局面あるいは法令そのものの判断ではなくて、昨日のケースで申しますと、国家機関のある行為を縛る、そういう意味があったのかなと思います。

 ただ、そういった、つまり国家機関の行為を縛るということに対する例えば判決の効力というものを考えてみますと、あくまでもその具体的当該事件限りということであるとすると、一般の受けとめとは違って、実は効力としては非常に弱いのではないかと思いますし、また、そのことと関連をいたしまして、今仙谷委員からも昨日の訴えの訴訟物の構成の仕方についてのお話がありました。

 例えば今までも、私も議会に来て少し気になっているケースというのはありまして、去年のことですが、法務省入管局が読売新聞社に対して、その掲載した記事が憶測に基づくものであるので、もうこういう憶測に基づくものは二度と掲載しないよう厳重に抗議する、そういった抗議をしたケースがありました。委員会でもそれについていろいろな意見がありましたけれども、事前抑制の禁止の法理に触れるのではないかということであります。ただ、そのケースでも、憲法問題ではないかということで訴えを提起しようとしたときに、訴訟物をどう構成するのか。恐らく、これは相当難しいことだと思います。つまりは、疑いがある事実であったとしても、これは現行のもとでは提起することが極めて困難なケースだと思います。

 また、ことしに入りましてからも、ある新聞社が少し先行した記事を書いたということで、東京高検が二つの新聞社を出入り禁止にしました。このことによってその新聞社が、具体的に言いますと、遺伝子スパイ事件について高検の取材ができなかったということでその記事が書けなかったという事件、事件と申しましょうか、そういった案件がありました。このケースでも、国家機関のある行為が、これは憲法上やや問題があるのではないかと思いますが、それに対して、例えば、おかしいじゃないかと言って憲法問題として提起をすることは極めて困難ではないかと思います。

 そういったことからいたしましても、現行の司法権の系統に属するものではなく、あるいは具体的事件・争訟性ということを前提としないで憲法判断をするというシステムというものが必要なのではないかと思います。

 二点目ですが、そういったことではなくて、機構改革の方をという御意見も出ておりますけれども、それは実際なかなか容易なことではなくて、例えば、機構改革をすると言っても、それを企画立案する、法案提出というのは、これは法務省という役所になるのかなと思いますが、これは人事も改めろという話なのかもしれませんけれども、現在の法務省の中にも裁判官出身の方が随分たくさんいらっしゃって、民事局なんというのはほとんど、ほとんどと言うと言い過ぎかもしれませんけれども、裁判所出身のメンバーとなっております。

 結局、役所の人事からいっても、そういった出身の方で占められていたり、あるいは法案をつくる際には恐らく最高裁とも調整をするということをやるんでしょう。そういたしますと、なかなか抜本改革、機構改革をしようとしても、これは容易なことではなくて、もちろん不可能とは申しませんけれども、容易なことではありませんので、そういったことよりもやはり制度設計そのものを改めるということをしないことには、今の閉塞状況といいましょうか、そういったものは打開できないのではないか、このように考えております。

○山口富男(注 共産党)委員 日本共産党の山口富男です。

 私は、仙谷委員が提起されたこととの関係で発言したいんですが、先ほど、法の支配という問題を提起されました。私もその点は全く同じ考えを持っておりまして、昨日の福岡地裁の判決というのは、国を相手とした訴訟としては初めて、明確に、靖国への首相の参拝は違憲だというのを判断した非常に重い判決で、これはやはり、これを受けて小泉首相はきっぱり参拝をやめるべきだというふうに思うんです。

 それで、法の支配との関係でいいますと、我が国がとっている違憲審査制、いわばその源流になっておりますアメリカ憲法史の中で、一八〇三年にマーシャル判決というのがあって、そこで初めて、アメリカの場合、憲法に反するという事例を裁判所が判断したわけです。アメリカの憲法史上、法の支配というのがそこで初めて確立したと言われているんですね。やはり、それが一地方裁判所であっても、行政に対して、あなた方のやっていることは、これは憲法に反するんだということをきちんと判断した以上、それを受けとめるのが、法の支配の貫徹という点からいって非常に重要な問題だというふうに私も思います。

 それからもう一点は、憲法裁判所の問題で、私は、これは人権保障の問題ですから、硬性憲法、軟性憲法という憲法改正論の角度からこの問題に接近すると、やはり違憲審査制や憲法裁判所を各国が設けている意味が、把握という点ではきちんと把握できないのではないか、そういう接近はすべきじゃないというふうに考えています。

○小野晋也委員(注 自民党) 先ほど来の議論について、私の方からも一言申し上げさせていただきたいと思います。

 福岡地裁の小泉総理の靖国参拝に対する違憲判決の件でございますが、これは、判決文を読んでいないものですから、どの点がどう違憲と判断されたか十分承知しておりませんけれども、ただ、今までの議論をお伺いしている限り、まだまだこの議論は未成熟の議論であると言わざるを得ないと思っております。

 例えば、先ほど来、仙谷委員を初めとしまして、地裁といえどもこういう違憲判決が出たんだから、すぐに小泉総理は靖国参拝を取りやめるべきであるというふうなことを言われておりますけれども、ならば、この地裁の判断が逆であったらどうなんだろう。これを違憲としないというふうな判断をしたときに、原告団に対して、地裁といえどもこういう判断が出されたのだから、原告団はもう上告をすることをあきらめて、もうあっさりと裁判をやめるべきである、こういうふうに皆さん方が言われるのかというと、恐らくそういう言い方はされない。

 ということになりますならば、政府のみに対して憲法を厳しく当てはめて、そして、そうでない原告団に対しては憲法の解釈を違う解釈をしようとする、こういうダブルスタンダードが許されては憲法というものの権威が損なわれてくるわけでありますから、そのあたりは、裁判制度のもとに基づいてこの問題が提起をされ裁判が行われているわけでありますから、きちんとした手続を尊重する立場から我々は見守るべき問題であるということを、まず一点、提起しておきたいと思います。

 それから二点目は、この種のあいまいな解釈が現実にあるという問題に対して、我々国会は何をなすべきかという問題でございます。

 憲法そのものに非常に、その個別の問題に対してあいまいなものを残しているとするならば、一つの方法は憲法改正の問題、今杉浦先生からも提起をされましたが、そのような両面の解釈を許すような憲法を国家の基本的な法として置いておくこと自身を改める努力をするというのが、一つの方法として当然の国会の責務だと私は思います。

 それからもう一つは、前回の会合でもお話を申し上げましたが、これが違憲であるということを言われるのならば、なぜそれを主張される皆さん方が堂々と、総理は靖国神社に参拝してはならないという法律を皆さん方から出されて、法律の形でそれを規定する努力を国会として行わないのか。そこできちんとした議論を行って、それでその解釈を確定していくという努力を国会として行うことも一つの責任ではないかと私は考えている次第でございまして、このあたりに、憲法というものを自分の都合のいいように解釈をして、そうでなければおかしいと論ずるような形で憲法の権威を損なってきたこれまでの日本の政治の歴史を改めて振り返りながら、憲法改正の議論をきちんと行うべきだと私は考えている次第であります。

○中山会長 委員の皆様に申し上げます。

 予定の時間もございますので、御発言は、現在プレートをお立ていただいている杉浦君、永岡君、森岡君、仙谷君までとさせていただきたいと存じます。

○杉浦委員 仙谷委員がおっしゃった違憲判断について、事件性を排除して、国民のだれもが法令とか国家の行為が違憲だということを申し立てられる場所が必要だ、そういう意味で憲法裁判所が必要だという点では同意見であります。今の最高裁、司法のあり方は、事件性を要件としておりますから、国民が、だれもが違憲だといって申し立てられたら、判断を回避するということになると思うんです。

 その上で、この靖国問題に触れられたので言うんですが、今の憲法が、総理、閣僚等が宗教施設に参拝すること自体を違憲だとしているかどうか、私はしていないと思うんですね。宗教行為、参拝というのは宗教行為になるのか。例えば教会だとかお寺だとか、神道といっても氏神様もありますね。私が閣僚になれば、ふるさとへ帰れば、自分の部落にある氏神様に参拝しますよ。だんな寺に行きます。そういう参拝する行為そのものを憲法が宗教行為として禁止しておるというのであれば、私は、憲法を改正すべきだと思うんです。そういうあいまいな判断がされるような憲法であってはならないと思っております。

 そういう趣旨で、私は、今の憲法を変えるためには、もうほとんど改正不可能な硬性憲法ですから、総理の行為が妥当だということであれば、妥当なように憲法を変える、これは国会が発議するわけですから、発議しやすいように、国民が判断しやすいように変えるべきだというのが私の考えでございます。

 

○永岡委員 自民党の永岡洋治でございます。

 重複を避けながら御意見を申し上げたいと思うんですが、小泉首相の靖国参拝の問題についていろいろ今議論がされておりますけれども、要するに、日本の今の政治の体制が三権分立になっていて、国権の最高機関の国会があり、行政があり、そして裁判所があるという関係の中で、司法の判断が、行政の継続性あるいは国益に関する高度な判断、そういうところに踏み込んできた場合に、それで行政の継続性が損なわれる、あるいは国益に絡む高度な判断が損なわれるということについて今の憲法は予定をしていないと私は考えております。もちろん、三権分立の中での司法の役割は大きいわけでありますけれども、一裁判官の判断が国益とのバランスの中でどういう効果を持つかということは慎重に考えていくべき事柄であると思っております。

 それから、憲法裁判所を設置する問題について、私は、前向きに検討すべきだと思います。それはやはりいろいろな意味でチェック・アンド・バランスの仕組みというものを設けていった方がいいという意味でありますけれども、ただ、憲法裁判所を設ける場合にも、その判断にどういう効果を与えるかということについてはかなり深く検討しなければならないと思います。高度に政治的な問題に踏み込んで、抽象的な違憲判決をどんどんやっていくというようなことになりますと、これは大きな問題があるわけでありますから、機構としてのあり方の問題と、それからその判断についての効果をどう持たせるかという問題は、やはり分けて考えていくべきではないかと思っております。

 それから、重要な問題、先ほど杉浦先生もおっしゃっておりましたけれども、憲法の改正を硬直的にしておいて、憲法改正ができないままで、違憲立法についての権限を裁判所に強力に付与していくという考え方はやはり避けるべきではないかと思います。憲法を経済社会あるいはそこの国際情勢等に合わせまして変更できるという前提があって初めて、違憲立法というものの権限を強化していく、司法の判断を強化していくということが意味を持ってくるわけでありますから、憲法改正手続の問題を含めてこれは議論していくべき問題だと考えております。

 以上でございます。

 

○森岡正宏委員 自民党の森岡正宏でございます。

 先ほど来、仙谷幹事を初め、法の支配ということについて、昨日の福岡地裁の判決をめぐりましていろいろな御意見を開陳していただいておるわけでございますが、私も、いろいろな思いを持って少し発言をさせていただきたいと思うわけでございます。

 私は、法律家でもございませんし、難しい法律用語を使えるような人間ではないわけでございますが、きのうの判決を見まして、国民の一人といたしまして、なぜ、国家を代表する総理大臣が、国家のために命を落とした人に対して、それをお祭りしている神社に参ったらどうしていけないのか。一地方裁判所の判事が自分の私的な気持ちを判決という名をかりて真情を吐露した、そしてそれが判決になってあらわれた、それに対して控訴もできないというような仕組み自体が私はおかしいと思います。

 やはりこの問題は、マスコミでも報道されておりますように、国の内外に非常に大きな影響が及ぶ問題でございます。伊勢神宮に総理大臣が参拝される問題については、だれも何もおっしゃらない。しかし、国家のために命を落とした人たちのところへお参りすることだけが問題にされる。私は、これは、日本が占領下に置かれておったときに、占領軍が神道指令というものを出しまして、国家、政治と宗教というものをかたくなに切り離そうとした、その残像がまだ残っている状態が今の状態ではないかな、そんなふうに思っているわけでございまして、裁判官にもそういう影響がまだ残っているんだなというふうに思います。

 素朴な気持ちとして、国家を代表する機関の長たる者が、国家のために命を落とした人たちのところへ慰霊の誠をささげる、これは当然のことじゃないかな。外国でも、伝統的な宗教に基づいて国家のために命を落とした人たちをお祭りしている、そこへ大統領や総理大臣がお参りになる、当たり前のことでございます。それがどうして日本では許されないのか。それを一地方裁判所の判事の判断で、これはオーソライズされた、これは日本国の法が定めた、これによって総理大臣も従わなければならないのだ、これが法の支配なんだ、それはおかしいと思うわけでございます。

 そういう意味で、私は、先ほど来議論が出ております違憲判決について、やはり統合的に憲法判断というものをしっかりとできるような機構をつくるべきじゃないかな。それが、先ほど来お話が出ております憲法裁判所という形がいいのか、それとも最高裁に憲法部というものを設けるような形がいいのか、それは私にはわかりません。しかし、一地方裁判所の判事の私的な気持ちが判決というものに名をかりて吐露された、それが全部この日本国を支配してしまうんだ、これはおかしいじゃないか、私はそう思えてならないわけでございます。

 以上でございます。

 

 憲法違反の問題について決着をつけるべきだ

 

○仙谷委員 簡単に申し上げます。

 森岡先生のような御意見が出るから、例えば、小泉総理の靖国参拝について、合憲、違憲論争なり、あるいは考え方なり、政府が一見、あるいは一見でなくても、相当多数の国民から見れば、憲法を踏みにじった行為をへっちゃらで行うというふうな事態が生まれるのではないか。だから、一つ一つ決着をつけていく制度をつくったらどうでしょうかということが私の言いたかったことなんですよ。そこは御理解いただきたい。

 もう一つ申し上げておきたいのは、小野先生のお話でダブルスタンダードと。これは極めてゆゆしい発言だと私は思います。憲法九十九条になぜ国民と書いてないか。これはもう極めて明快なんじゃないんでしょうか。つまり、憲法は国家権力に対する猜疑の体系である。権力行使についての統制手段として憲法というものがつくられてきたという歴史的な経緯からして、平板に、あなた方が憲法を守らせるような法律をつくればいいんだ。そんな問題ではない。ダブルスタンダードというふうな言い方は全く当たらないと申し上げておきたいと存じます。

○中山会長 それでは、これにて憲法保障、特に、憲法裁判制度及び最高裁判所の役割についての自由討議を終了いたします