2001年04月26日 憲法調査会

○鹿野座長代理 仙谷由人君。

○仙谷委員 民主党の仙谷由人でございます。

 大変長時間をお使いいただきまして、公述人の皆さん方にきょうこうやって御意見を陳述していただきましたことを心から御礼申し上げます。

 そこで、先ほどこの憲法調査会の公開の問題が出ました。憲法調査会は、先ほど中山会長がおっしゃったように、すべて丸裸の公開がされているというふうに私も考えておりますので、その点の疑念はなきようにしていただきたいと思います。

 そしてまた、こういう議論をするときには、本当は私の意見をまず申し上げた方がいいわけでありますが、時間の関係で申し上げられませんので、私の意見は、この間憲法について考えてきたことを相当ホームページに載せてございます。民主党のホームページからリンクしていただければ、私のヨーロッパの訪問の感想等々を含めて、二十一世紀の日本の国の形をどう考えるか、憲法的に考えればどうなるのかということも含めて記載をしてあるつもりでございますので、皆さん方の御批判、御意見をいただければと思います。

 そういうことを前提にして、ただ、極めて簡単にスローガン的に私の意見を申し上げますと、今、日本あるいはヨーロッパ先進国が置かれている状況は多分、スローガン的に言えば民主主義の民主化、つまり、もっと民主主義を、もっと民主化を、もっと国民主権制を強くということが一つのコンセプトといいましょうか、共通のテーマだと思います。そして、日本的に言いますと、もう一つは、アジアの平和を実体的にどうつくっていくのか、その枠組みの中で日本がどう貢献し、関与し、共同作業をしていくのかということが実は問われているのだろうと思います。

 ただ、きょうはそこまで議論が発展しなかったものですから、ひとつ民主化の方、国民主権制の方をまず鹿野町長さんと手島さんにお伺いしたいのでございますが、日本の行き詰まりの最大の原因は、これはある種の憲法秩序、行政権は内閣に属するということが、すべて中央集権的な官僚機構のもとで行われていいんだというところに帰しているのではないかと私は思っております。

 そこで、先ほど来、本当の分権をどうやって実現するのかということが課題になっているのだと思いますし、地方分権推進法等々ができましたけれども、しかし実体的にこれが進まないのは、まさに財政、財源のところが何ら保障されていないというところに最大の問題がある。裏返していけば、分権と言いながら、依然として補助金行政を延々と続けるというこの構造が日本の病気の最たるものだ、つまり、ある種のモラルハザードを自治体の方にも起こす一方、とんでもない財政赤字の原因にもなっていると私は考えております。

 そこで、これを法律的、憲法的に考えますと、やはり自治体と国が対等であるというこの原則は何らかの形で憲法上規定した方がいいのではないかというのが一つ。もう一つは、同時に、課税自主権を憲法上の自治体の権限としてきちっとうたい込まなければ、こういういい加減なと言っては怒られますが、いい加減な資源配分が行われるようなといいましょうか、中央の官僚がいいようにするようなことになってしまっているのではないか、こんなふうに思っておるのですが、いかがでございましょうか。

○鹿野文永君 申し上げます。

 地方分権に関しまして、財源の配分を強く求めていることにつきましては、委員のおっしゃるとおりでございまして、私も同感でございます。その措置を憲法の新しい枠組みの中で考えていくのかどうかということについては、私どもはそこまで踏み込んでおりません。むしろ、現在の地方自治の本旨の中で、法律でもって別に定めるとございます。その中で進めていただくように私どもは声を大にしていきたい、このように考えております。

 いま一点、内閣とのかかわりでございまして、分権とのかかわりでございますが、私の持論といたしましては、市町村と都道府県とそれから内閣、国の政府と、ある意味では地方政府が二重構造になっているわけであります。私は、そこに一つの問題があるし、現在推進されているところの市町村合併に関しましても、都道府県に関しましては全くコメントがないし、地方分権推進委員会でもその議論はおかれているわけでございます。そういう中でもって市町村合併の話が先行しているというのは、やはりそこに現実的な欠陥というか、議論の熟度がまだ足りないという判断に立っている。都道府県の問題と市町村の問題は一体で議論すべきではないか。そういった議論の結実のもとで、さらにその先に憲法というものとのかかわりがあるならば、そこで大いに議論しようじゃないか、私はそのように考えております。

○手島典男君 今の御質問でございますが、日本の場合は、とにかく、もともと地方自治体の力というのは非常に弱くて、中央政府の任命とかなんとかで生まれてきたものでございますので、この辺が、ヨーロッパが、まあアメリカもそうでございますが、初めに州ありきということで、州が中央政府と約束して自分のいろいろな権限をつくり上げていったのと大いに違っているところではないかと思います。恐らく戦後の憲法をつくるときにもそういった欧米の例が頭にあったのではないかと思います。しかし、日本では、どういうふうに地方自治の本旨というのを説いたらいいかという答えが思い浮かばないまま、本旨という言葉が出ただけではないかと思っております。

 しかし、余りにも中央集権が進みまして、また経済的にも、とにかく中央の方にエネルギーが吸収されてしまって地方はなかなか力が出てこないというのが現状でありますので、もう一度ここで、その中枢になります地方自治の問題について、例えば中央政府は小さな政府としてどういう仕事をやっていくのか。これは、たしかドイツにあったような気がいたしますが、外交、国防それから経済の根幹にかかわるような問題、警察の問題、こういったことに限定するとか、そして地方はどの仕事を持つというようなことも思い切って規定していくということも必要ではないか、検討すべきではないかと思っております。

 それから、課税権の問題もやはり触れなければどうにもならない。今のところは、中央のいろいろな施策に対して地方も相乗りしてつき合っていくために、両方の赤字がふえているという状況でございますので、これも一つ出すべきではないかと思っております。

 簡単ですが、以上です。

○仙谷委員 ほとんど時間がなくなりましたので、小田中先生に一点だけお伺いします。

 先ほど違憲立法審査権のお話をされました。しかし、日本の場合、最高裁判所の持つ違憲立法審査権がやや機能不全といいましょうか隔靴掻痒といいましょうか、なかなかうまく回転しない。それは、個別事件を通してしか審査できないというところに相当の原因があるのではないか。

 私ども、ヨーロッパを見ておりますと、憲法秩序が、法の支配あるいは法治主義ということが真っ当に行われるためには、どうも憲法裁判所なり憲法の審査院みたいなものがあった方がいいのではないかという気がするのですが、いかがですか。

○小田中聰樹君 私は、刑事訴訟法という分野で研究してきた者なんですが、抽象的な法の解釈がどのようにして発展していくのかといいますと、通常は、やはりケースの中で生まれてくるのですね。ある事件に直面し、裁判官あるいは裁判所は、良心に従い、独立してぎりぎりまで考える。その中で、法の解釈というものが大きく動いていくことがあるわけです。その状況を考えてみますと、憲法の場合でも全く事柄は同じだろうというふうに思います。

 憲法判断というものが、最高裁判所も含めて下級裁判所等でもこれまで幾つかなされているわけですが、いずれも、ケースに即してぎりぎりのところの判断として、例えば違憲、合憲の判断が出てくるわけですね。ですから、私は、憲法裁判所をつくれば違憲立法審査権が活性化するというのは幻想ではないか。むしろ逆に、ケースに即して、一審、二審、三審と、具体的な事実と法に則しながらぎりぎりのところで出てくる憲法判断こそが本当の意味での憲法判断だし、そういう方向での活性化の道はまだまだ残っているというふうに考えています。その意味で、私は、憲法裁判所構想には疑問を持っています。

    〔鹿野座長代理退席、座長着席〕