2000年04月27日 憲法調査会

○中山会長 ありがとうございました。

 次に、仙谷由人君。

○仙谷委員 民主党の仙谷由人でございます。私の、憲法記念日を記念した憲法調査会での発言をさせていただきます。

 私たちの世代は、日本国憲法とともに生まれて、そしてその価値観に身を浸しながら生きてきました。私たちは明治憲法時代を知りません。

 明治憲法時代がいかなる時代であったのか。たまたま昨日の朝日新聞の夕刊でございますが、「今国のかたち考 愛国と小国」という表題で記事が出されておりました。司馬遼太郎さんの「「明治」という国家」に記載をされております、明治国家に対するある種の積極的評価でございました。

 ただ、司馬遼太郎さんにいたしましても、日中戦争への突入あるいはノモンハン事件についての司馬さんのお考えというものは、私どもに大変重大な意味を投げかけているのではないかと思います。つまり、統帥権の独立を盾にとって軍国主義が暴走した、これを許容する憲法上の制度的な問題が存在したのではないかという疑念であります。

 日本国憲法は、その前文で「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、」というふうに書いております。日本はこのときに、疑似近代国家から本物の近代国家へと変革を遂げるという決意をその国家観で明確に語ったと言うべきでありましょう。私は、これは、憲法は国家権力に対する猜疑の体系であるというトーマス・ジェファーソンの有名な言葉、この近代国家における憲法の原則というふうなものと、先ほど申し上げた前文の記載は共通するものがあると考えております。そしてまた、これは憲法という法律を考えるときの基本認識でなければならないと考えております。

 この近代国家の憲法の原則、つまり、権力行使は法律、つまりこれは議会でつくられるものでありますが、議会が主権者たる人民の代表者の意思に基づくというものを前提としているわけでありますが、権力行使は法律によってコントロールされなければならないということと同時に、国家は人々の基本的な権利を侵してはならない。これはまた、世界人権宣言や国際人権規約にうたわれている基本的人権の尊重という普遍的価値と軌を一にするものでございますが、そのことが確認をされなければならないと思います。専制と隷従、圧迫と偏狭、恐怖と欠乏からの自由を保障することもまた近代主権国家の原則でございます。

 押しつけ憲法論というのがございます。自主憲法制定論というのもございます。これを展開する方々にぜひお願いしたいしお聞きしたいのは、不十分とはいえ今私たちが享受している制度的な保障、つまり国民主権、基本的人権、平和主義、この制度的な保障と、明治憲法下の天皇主権、統帥権の独立、あるいは治安維持法や大政翼賛会を許容した抑圧体制、法定手続を無視した司法官憲、政治的な権利のない、あるいは政治的な権利を保障されずに家制度に縛りつけられた女性等々、こういう国家体制と、どちらが人間の存在と活動にとって望ましいかということをお答えいただければと思っているところであります。

 今申し上げた近代国家の基本的な価値を前提としつつも、私どもは、グローバル市場の暴走をコントロールし、地球環境を保全し、戦争を回避するための防衛についての主権国家の限定された防衛力、あるいは、公がイコール官ではない新しい公共心に基づく市民社会における貢献や寄与についての規範、このようなものを含む新しい国家論、人権論を必要としている、そしてまた、EUの今の試みはそのような問題意識に基づいた壮大な実験であるという想像力を持つべきであろうと思っております。

 以上でございます。