分権改革を急げ

日本政治の行方と民主党の課題

                 2008年6月11日

友愛クラブにおける講演

 この友愛クラブの代表をつとめておられる鳩山由紀夫幹事長とは96年民主党の立ち上げの準備会からお付き合いをいただいています。鳩山さんに支援されながら、ともに同志として最初の民主党を立ち上げたことを昨日のことのように覚えています。

 当時から大きく政治状況が変わりました。民主党は小沢自由党と合併して5年たちました。私自身は当時「民由合併」には積極的には賛成しなかったのですが、大きな立場で二大政党をつくるには合併した方がよいということで2003年から一緒の党になりました。

 世論調査を見ると、次の総選挙では民主党に投票するつもりの人30に対して自民党に投票予定の人20です。これは 戦後政治史のなかで稀有な事態です。しかし、政権はじっとおとなしくしていればとれるわけではありません。政権は何のために誰のためにとるかを忘れてはいけないと思います。政権が取れればよいというだけのものではないと考えています。

 今日は参議院が問責決議を出すことを両院議員総会で決定するなど国会は時々刻々と動いている状況でのお話になります。

問われているガバナンス
  官僚の机上の空論が通用しなくなった

 昨年の参議院選挙で民主党が社会保険庁問題をはじめ年金問題を軸として闘って選挙に勝ちました。

 年金問題に対する社会保険庁の次から次へと発生した問題は大きな問題だと思いますが、選挙結果は、日本人の政治的レベルからいえば、社会保険庁の不祥事を通じて安倍内閣のガバナンス、マネージメントへの不安、不信がもたらしたものです。安倍内閣はお友達内閣と言われました。すなわち塩崎官房長官、赤城農林水産大臣、すべてお坊ちゃんの顔。悪い人ではないが、はたしてまかせて大丈夫かと国民の多くは思ったのではないでしょうか。

 参議院が野党過半数になったためにいろいろな問題が見えるようになりました。この春国会同意人事問題というのが一躍脚光をあびました。私は議院運営委員会の理事でたまたま法案担当の理事の役だし、人事案の党内意見のとりまとめの係ということです。国会の同意人事というのは、審議会など独立の客観性をもたせた行政を進める機関の人事に国会が同意を与えるシステムです。この人事を見ていると、この数十年は、鳩山一郎内閣総理大臣時代とか、60年代の半ばまでは、あるいは田中内閣の頃までは、人事配置について政治の側の意向がよきにつけ悪しきにつけきいていた時代です。そこに政治としての選択・判断があったのではないでしょうか。しかしこの間は行政が仕切る分野が広くなったり複雑になったりして、与党、内閣がノーチェックできていました。それは同意人事の案件が多いということもあるし、各省庁の次官以下の人事についてノーチェックである。つまり政治が判断できないまま、役人のやりたい放題の人事案がつくられ、政治が黙って判子をおしてきた。ひどい状況です。それがうまくいっていた時代はそれでよいのでしょうが、今はうまくいかなくなったのです。

 一番ひどくだまされた件は、不良債権処理問題。92年からです。今98年金融国会をへたあと、いろいろな人が述懐していますが、「こんなに不良債権があるとは知らなかった」、「誰も教えてくれなかった」、「だまされていた」と政治家が言っている。こんなことをいくら言ってもだまされた方が悪い。社保庁、年金、後期高齢者医療制度がこんなことになっているとは知らなかったと、大臣ほか与党の政治家が言っています。これは満天下に自分たちが能力がないことを自白しているようなものです。

 しかし実情がわからないことがあります。後期高齢者医療制度になると、私もがん患者の立場から医療問題を相当勉強してきまして厚生労働省からはうるさ方とみられているようですが、それでも細部まではわからない。

 診療報酬というのは、保険診療の際に医療行為等について計算される報酬の対価です。診療報酬点数表に基づいて計算され、点数で表現され、2年に1回改定されます。電話帳みたいな厚さです。相当詳しい人でも細部までわからない。今度2月に変えた点数と関連部分に後期高齢者の扱いが書いてあります。かかりつけ医となったことを登録すれば1ヶ月6000円になるなどと決められている。

 細かい話がからんでいて政治家ではわからない。官僚の机上の空論の政策が現実に現場におろされたときどのような効果を生むのか、現実との齟齬や矛盾をどうフィードバックするのか、それを解決しにくくなっているのではないか。

 自民党政治は霞ヶ関の机上の空論に依拠するようになった。昔はこの机上の空論も大目標を掲げての施策だったので国民も辛抱していたが、90年以降、東西冷戦以降はそのことが妥当しなくなってきた。パラダイムが転換し、世界が変わった、そのことに気が付かなかったのが政府の迷走の原因です。

憲法改正問題は地方自治から

 私自身は、鳩山さんが憲法改正の積極論者であるのに対して、なにがなんでもとは思っていませんが、少なくとも日本のマネッジメントがなぜうまくいっていないのか、なぜ霞ヶ関に翻弄されているのか、このかん考えていますが、これは憲法問題がかかわっていることだとわかります。

 日本システムがうまくいっていないことを直そうとすると憲法改正が緊急の課題になってきます。憲法については戦後ずっと再軍備をめぐる争いが続いてきましたが、それよりも今の時代に改正すべきなのは、9条問題ではなく地方分権のところです。

 また国会は参議院だけでも反対すれば人事は通らない、法律も通らない。三分の二で再議決するといっても今の自民党の議席はたまたま今三分の二をとっているにすぎないので、これからは普通はありえないことです。どうやって法律をつくっていくかを本気で考えねばなりません。国会そのものが今のままでいいのか、二院制でいいのか、二院制でいくなら、衆参の任務分担をはっきりさせるとか、考え直さなければいけません。今は予算と条約についてだけ衆院の優越規定がありますが、普通の法律についても考えなければいけないのかもしれません。内閣諸制度については、大臣は直接間接に国民から選ばれている総理大臣に任命されているということにより行政各部の執行権限をもっています。総理は細かいことまで出せませんから実際には各省で分担管理をすることになっています。それは実際にはそれぞれの権益を主張し、独立の利益団体となって、その代表が大臣というかっこうになっている。はたして内閣の諸制度はそれでいいのか、ということが、憲法で決められていなければなりません。

 それから行政のチェックは裁判所だけでいいのか、会計検査院という数字、会計の上でチェックする機関の役割も憲法上明確には定められていない。これがはたして内閣からどの程度独立した機関として位置づいているのか、諸外国とくらべて中途半端になっています。他に公正取引委員会もそう、行政をチェックする機関がどの程度有効に働き続けられるか。

 と言いますのは、市場重視の社会をつくるということになってくると、従来のように行政官庁が業界を指導して動かしていくということはありえません。当然ながら各会社・企業・個人は自由に活動できる。そこで出てくる紛争を裁判所だけでなく、事後審判型、事後救済型の社会の仕組みをあらためてどうやって解決していくか。これこそ国のかたち、統治のあり方として憲法をもう一度考える必要がある、と私は思います。

国境を超えるガバナンスをEUに学ぶ

 さらに国境を越える問題がふえています。

 いま環境問題の重要性がいわれていますが、今年は黄沙が少なく風向きで北の方へ言ったのでしょうか、しかし日本の中国山地、韓国も酸性雨が相当ひどくなって枯れ木が増えているといわれています。中国の猛烈な大気汚染ゆえ、黄砂が雨になって日本の中国地方で吸収され、木が枯れるなど被害が大きくなっているのです。大騒ぎ寸前の鳥インフルエンザもあり、資源争奪戦も始まっています。中国・インドが勃興したことにより、日本の輸出企業からいえば知的財産権、コピー問題も大きい問題です。さらに食料品の安全も一国的な管理で大丈夫でしょうか。大きな問題として突きつけられています。国境を越えたガバナンスが必要になってきたのです。われわれに突きつけられたこれらの問題をどのように解決すればいいでしょうか。

 我々の前にEUの方法が提起されています。大日本帝国憲法もオーストリアの憲法に学んでつくられたといわれています。従来の法体系、憲法は文明開化からとりいれられたものです。日本人は換骨奪胎、和魂洋才で海外の文化、文明をうまくとりいれてきました。古代から漢字、仏教、論語をとりいれてきたし、そのまま無理におしつけられたのではなく、うまく日本流にあわせながらとりいれてきたのが日本です。先行モデルがあるケースは、真似といわれても恥じる必要なくとりいれればよい。巨大な人口を持つ中国という存在を抜きに我々の未来は考えられないのですから、ここと折り合いをつけながら国際舞台、国際的規範に彼らをひきいれていくことが必要です。そういう意味で、韓国、台湾、中国が、保健、環境、資源エネルギー、食品、コピー問題、災害の際の対処、それらをうまく共同で処理できるしくみをつくらなければいけません。

 EUではEU憲法条約は成立しなかったのですが、同内容を含んだリスボン条約という形で批准手続きに入っています。そこでは国家主権をEUに移譲するという概念で、入国管理、安全保障政策もそこにあずけてしまう。中央銀行の通貨発行権も各国から移譲、こういうことになります。共同で国家主権を行使する。そういう構成をとることがアジアでいつの時代にできるのでしょうか。これは民主主義の発展段階が違うし中国の場合は司法権の独立がないのが問題です。近代国家にとっては議会の重要性が第一で、民主主義の政治的意思決定、国民投票で選ばれた代表者によって決められることが大事です。それと行政執行をする権力を投票で行われる首長で行うこと、また専門的、公正な、法にもとづいて行われる裁判所がなければ民主主義は機能しないというのが歴史の教えるところです。中国をみていると行政権と司法権が一体であって、これだと「お白砂裁判」になってしまいます。中国を見ていても、このところが依然としてすっきりしない。台湾、韓国は以前はカネをつめば裁判がなんとかなると言われた時代があったとききますが、最近は専門的な法律家養成を急ピッチで進めています。弁護士が権力から独立して法的活動ができるかどうかが大事なので、そういう専門的法律家養成システムが中国で育つか、国家主権の移譲、共同行使が概念としてうまくいって東アジアにおける法の支配ができるか。それがなければ声の大きい者、力の強い者のいいなりになってしまいます。

国のかたち=憲法の課題を明確に

 グローバリゼーション、あるいは「第三の開国」といわれて、人・もの・金・情報が瞬時に行き交う時代にふさわしい統治機構のあり方を考え直さなければいけません。憲法的課題がそこにあるのですが、なかなかそういう議論になりません。メディアがすぐ反動だ・アカだという、極端な議論が好きなメディアが多く、まともなメディアが少ないと思います。残念ながらそのくせが国会のなかでも反映しています。参議院が野党過半数で、なかなかものごとが決まらない。だったら「大連立」をしてしまおう、それがダメなら財政の裏付けがないまま、対案も提起せず、政局主義に走る。こういう両極端の議論では困ったものです。議論が膠着して進まない。ヨーロッパではそういう時代を超えてきた経験があり、私は、「今こそ熟議の民主主意義を」を朝日新聞「私の視点」に投稿しました。こういう議論の仕方ができないだろうか。今こそ公開で議論するなかで合意形成をすべきと思います。

 私は弁護士時代に労働組合の事件も多くとりくみました。だいたい労使交渉は二晩やればへとへとになって合意します。最近、橋下大阪府知事が大胆な賃金カットを提唱していますが、これは橋下知事が勝つでしょう。それだけ財政が逼迫しているし、むだ使いもひどい。役人の危機感が少ない。住民は税金を払いたくないから、本当の情報を流せば、ムダや賃金のカットが必要との世論が形成されます。これを非公開でやるから、へんな結論になるのです。国会も同様です。国民に議論を見てもらえば、その人の議論が真実かはったりかはわかるし、議員の能力についても一目瞭然です。公開し、そのことが報道されることが大事なのです。インターネットで議事内容がビデオライブラリーで全部見られます。今はそこまで仕組みとしては開かれています。衆議院の日にち、何々会議、議員の名前で検索すれば、質疑がビデオで見られるのですが、これを見ている人はまだ少ないでしょう。この内容を現場で見て報道するのがメディアの役割ですが、メディアも議論を見ていないのが悪いくせで、オープンにされている議論をきいていないし、報道していません。

 先般、政府の社会保障国民会議が、成長率や、消費税を何%にするかなどいくつかの前提を置けば年金制度がもつというシナリオを三つ作って発表しました。レクチャーを受けた新聞記者はだれも中身がわからなかったといいます。それくらい年金問題も難しいのですが、結局消費税を上げるという結論部分しか記事に報道されませんでした。今のクラブ制度のもとで各官庁が記事を書かせるためにブリーフィング(発表)するので、各社同じ内容になったり、省庁の宣伝以上でも以下でもない記事になっています。メディアのスタイルを極限化すると、みのもんたさんの朝の番組。イエスかノーか、是か非か、針小棒大というきらいがあります。こういうあり方が日本の政治をもう一歩成熟させなければ、レベルをあげなければ、将来への不安がますますかきたてられることになるのです。

 私は、ここは日本のピンチですが、もう少しレベルをあげなくてはと、本格的二大政党制、政権交代をめざし、議会とは何かを作り出すところだという本来的な議会制民主主義をつくる産みの苦しみと考えて努力しています。

いつまでも中央依存では分権はできない

 最後に、憲法を改正してでも、「地方自治=分権」がいかに不可欠かということをもう少し詳しく説明します。

 資料をもってきました。一つは共同通信配信の憲法記念日にあわせた講演のダイジェスト、それと朝日新聞の「今こそ熟議の民主主義」をご覧ください。

 もうひとつ、県庁の職員からの資料を紹介しました補助金のしくみについての資料です。補助金で行政が行われるとき、一つの事業のために6往復くらい文書が行き来するのを示す資料です。霞ヶ関の事業官庁がやっていることは、自治体に対して事業を許可し、補助金の交付を決定し、補助金と権限を二本だてで行使するのですが、事業計画の作成事前協議からはじまって、事業計画承認申請、計画承認および内示、補助金の交付申請、補助金の交付決定、事業実施状況報告・概算払い手続き、補助金の実績報告、補助金の額の確定、事業完了報告・計画達成状況報告に至るまで、各省庁と、省庁の出先、県庁、地元の市町村と書類が何往復も行き来する。これは何年か前の農水事業の書類の流れの表をお示ししましたが、事業主体、市町村、農林事務所、県本庁、農政局の間で6往復しています。これはあくまで基本パターンです。

 会社の中で本社と支店がこういう書類の流れをしていたら、半年でつぶれてしまうでしょう。人件費コスト、物件費もさることながら、今の時代に時間がむだです。許しがたい話です。そこで、一生懸命、権限と補助金を移譲せよと、平成8年から12年かかって地方分権推進委員会が第一次勧告を出しました。今週の新聞では各省庁が抵抗、「国土交通省との対立回避」、「分権具体化くすぶる理念」と書いてあります。これも翻って考えると憲法上、分権について、地方政府と国の関係が明確に書いていないのです。国会、中央が地方の自治の本旨を法律で決めると書いてあって、これでは分権、地方自治ではない。中央集権です。本来は憲法で独立を書かねばならない。分権の諸原則、補完性の原則、対等の原則、課税自主権を。ただし中央政府と衝突、矛盾した場合はどうするかを書いておく。司法裁判所など憲法上の原則を書いておくことがヨーロッパでなされています。憲法はそういうものが本来必要だと私は思います。

 現在は憲法の上でも中央集権的なそういう解釈をのこしています。それで、あいもかわらず、うちの権限だとか、首長の顔をみれば何をするかわからんという議論に終始しているのです。

 最後の資料で、「消費者庁」を政府が提案しようとしているのに対して、民主党の考えを示しました。今まで業者行政はあって、その反射的利益として消費者の利益が保護されていたにすぎず、消費者行政はなかった、消費者の問題提起を受けて解決しようとしている組織はなかったのです。政府が今度つくろうとしている消費者庁はそういうものになるかどうか。我々が提起しているのは、ヨーロッパで行われている消費者オンブズパーソンを日本的に位置づけたものです。消費者庁とオンブズパーソンは並立できないわけではありませんが、消費者サイドに立って権利を擁護する権威ある存在が必要と考えました。消費生活について問題があったときに、今は問題を持ち込むには裁判所しかないし、弁護士はそんな細かい儲けにならないことをする人が少ないということがあって、なかなかそれが機能しない。

 消費者行政の充実は、これは手間がかかるし予算がかかります。こういうところに予算がきちんと措置できるかどうか、これからの消費者行政を本気でやるならきちんとしなければならないのです。