鈴木棟一氏主宰の「永田町社稷会」にて講演

2008年5月22日 仙谷由人

「政権交代への道」

 

 5月22日に政治評論家の鈴木棟一氏が主宰する「永田町社稷会」にて講演しました。本原稿はその際の内容を仙谷事務所の責任で編集したものです。

野党への国会対応の軽視と55年体制

 昨年夏以後、衆議院の議運理事を務めてきた。そこから政治を見た感想を申し上げる。何よりも感じるのは、ほとんどの人が参議院の第一党を野党民主党がにぎったということの意味を体感としてわかっていないということ。メディアも霞ヶ関も自民党幹部も、官邸もだ。結局のところ55年体制型の法案審議、予算審議が続けられている。同意人事問題もそう。結局各省庁が分担管理するという明治憲法以来の憲政の進め方だ。各省庁で原案を作り、自民党の部会を通し、総務会を通れば国会審議は儀式でしかなく、できるだけ早く採決してしまおうとする。この、えもいわれぬ体質が未だに続いている。例えば自民党の中の政策の分岐を反映しているのが国家公務員制度改革法、それから独占禁止法、それぞれ一つではない支持基盤の声が法律制定過程で中途半端に出てくる。その与党内の調整で疲れているのか、やっと調整ができて法律ができて、役所が民主党への説明にくるのは事後承諾的におざなり。民主党部門会議に説明にくるが、部門会議でダメだといわれたときどうするか、思いがいたっていない官僚が多い。自民党執行部も同様。そういう運営が続けられてきた8ヶ月だった。その最たる問題が同意人事問題だった。同意人事問題は衆参で結論が違った場合、衆議院の3分の2の再議決が使えない。予算、条約のように時間の経過で自然成立しないから、参議院でだめといわれたらどうしようもない状態になる。昨年夏以後の新たな議席分布と政治構造のなかで、どうやって国民合意を作り出していくのか、議会で合意を取りつけていくかという戦略を考えていないのではないか。メディアも五〇数年染み付いたくせが抜けない。このまま自民を主導とする政治が続くだろう、そのうち民主党からだれかがこぼれてきて補完するのではないかと思って取材し、解説している。このかんのメディアの「政界再編」騒ぎを見ていてそう思う。

新時代の国会議員の姿と支持基盤の変化

 いま自民党の最大の願望は、民主党は9月の代表選挙で大もめにもめて分裂するのではないか、ということだ。そのあと総選挙をやればプラスマイナス100くらいは有利になるのではないか。自民党のえらい人がどうもそういう願望を記者懇談会や宴会でもらし、それを受け入れる意識がメディアに残っているのではないか。そういう新聞記事がつくられる。

 だが、実際はそうはならない。

 わかっていただきたいのは、すでにわが党の議員は2003年からの4回の衆参国政選挙で選ばれた人が4分の3いるということだ。ということは、もう当選5回の私程度(自民党の年次でいうと部会長がすんで、委員長をやり、大臣の直前グループ)が90年当選組ということでいえば、衆議院は岡田克也氏が同期。その上は羽田先生、渡部先生を入れてたった7人しかいない。さきがけ、新生党で与党経験があったりする人も少々はいるが、典型的な55年体制を露ほども知らない人が大変多いし、そうした意識もない。例えば、98年の金融国会。与野党逆転が起こって政府・与党は民主党の金融再生法案を丸呑みせざるを得なかった。世間からは政策新人類というわけのわからない連中が修正協議をえんえんとやっていると批判された。ところが、今そのことすら知らない議員が約半分という新時代。人的構成でいうとそういう時代になっている。

 これには原因があることで、現場で選挙すればわかる。自民党の選挙を支えてきた柱ががたがただ。労組も選挙という観点から見ればかなり空洞化していて、この人たちが投票にいけば票を入れるだろうがなかなか行かない。選挙で組織推薦を決めても動員がきかないという恐るべき事態だ。建設業界、医師会、農協、商工会、特定郵便局長会、そういった団体が自民党を固く支えていたが、ここももうばらばらで、自分が生き抜いて行くのに必死で昔のように固まって選挙をできない。反対からいえばしたがって各小選挙区の戦略はここに働きかけて支持を半分まで広げるか、名実ともに中立化させるということが肝要だ。

 これは私が病気したことだけからいうのではなく、医療問題は大変切実だ。後期高齢者医療制度への関心は高い。私は国民に切実なのは年金より医療ではないかと以前から考えてきて、医療を本格的に勉強しなければいけないと考えてきた。学者、医者、製薬、官僚、いろいろな専門家の意見をきき、医療政策について患者であるということを広言しながらかかわっている。

 選挙でも大いに医療への関心は高くこういう医療を作りましょうといって病院をまわると、たいへん反応がある。徳島県でも若い男女の勤め先は、老人健康施設や療養病床というのが非常に増えてきていて朝礼で挨拶させてもらうと、200人は並んで握手してくれて腰が痛くなることがある。もう建設業ではこういうことはない。つまり就労構造が転換した。したがって投票に若い看護士や助手が行ってくれれば、これは勝ちムードになってくる。要するに自民を固く支えてきた構造が、がたがたになっているのは間違いない。そのうえに、4月の山口2区の衆議院補欠選挙のデータを見ると、金城湯池のはずのお年よりを怒らせてしまった。この高齢有権者がもう一度、「福田さんはいい人だ」と帰ってくれるかどうか、自民党は頭がいたい。ブッシュのように小切手をばら撒いても効果がないし、日本の財政事情からはリスキーな政策だからそれもできない。

鮮明な政治メッセージが必要

 昨年のサブプライム破綻で住宅バブルのクラッシュが夏以降表出したが、内閣においてこの問題について発言がないのは、いったいどういうことなのだろう。イラク給油問題は大事だということだったが、国際金融や国際経済をどう認識し対応するか、そういう政策に関心がない。新聞もあまり書かない。こういう状況で内向きの議論(議論にもなってない)がもっぱら。「癒しの福田」の登場で一安心、そこに「大連立」の話だから、政治のなかから議論、メッセージがなくなってきた。私はこんなことではだめだと言っている。

 日本政治が閉塞状況にあるのは、与野党両トップが鮮明な政治メッセージを送らないからではないか。政治は黙ってするものだというようなところに起因するのではないか。これは現代政治としてはまずい。利害関係者が業界をつくり、その業界と話しをし、調整し積み重ねていけば政治をしたことになる。そういう55年体制型の政治が終わっていて、アトム化され、個化されている一人一人にどういう働きかけをするかが政治の使命である。小泉前総理のように劣情をあおるのも危ないけれど、あれは成功した。何らかのメッセージを送るのは大変重要なことで、まともなことばかりでは選挙に勝てないというのが2005

 年選挙の反省点。しかし、そういうポピュリズム競争をしたり、旧態依然の組織化と動かし方だけでいいのだろうかと最近つくづく思って発言している。

 政権をとって何をするのかをはっきり提示するべきだ。その政策は財政フレームとの関係で整合性の取れた政策でなければどこかでまずいことになると思っている。こういう考え方は政局の素人でまだ青いのか、ここは熟柿作戦で必ず政権をとれるとして、日々組織をえいえいとして作っていくのがいいのか。これはやってみないとわからない。

 小沢代表に対してはもう少し党首討論をやるか、メッセージを発した方がいいのにと思ってみている。政権をなんのためにとるのか、とって何をするのかを意識的に語れば党への期待感が出るのにと思っている。そうなっていないのは、それは深謀遠慮があるのかと思うところだ。

同意人事は、脱官僚、脱集権で

 きょうも新聞に、政府が近く同意人事の提案をすると書かれている。日銀副総裁人事は提案をするのを断念するとしていて、焦点は国家公務員制度の改革で提起された天下りセンター=再就職監視委員会委員を新たに5人選ばなければいけないことになっている。もし全部参議院が不同意すれば監視委員会は機能しなくなり、10月から発足できない。官僚は天下りもできなくなる。さあこれをどうするか。これは同意人事小委員会の委員長である私が決めるわけではなく、政治判断ということで四役すなわち代表、代行、幹事長で決めることになろうとマスコミの人には言っておいた。またまた国会終盤で人事が問題になってくる。

 これまで同意人事案件に対して、自民はノーチェックで各省庁の原案をうのみにしてきた。各省庁のOBの順繰り人事、OBが批判を受けたら各省庁のお気に入りの人をどう回していくかというような話になっていて、なかなか批判精神の旺盛な民間人は審議会からはおよびがかからない。この人事の方からも脱官僚、脱集権を進めていかなければならない。人事は役所の手の中で自然と進められていく、これは相当意識までも腐っているのが霞ヶ関と自民党政治だとあらためて思う。油断もすきもならないことが未だに行われている。先日気がついたことがある。行政不服審査法の改正案が出ていて、税理士会から国税不服審判所のあり方について、今度の審判法の改正にあたって改善してほしいという要望が出ていた。そもそも審判所は、課税に対する皆さんからの異議申し立てを受けて、裁判所に行く前に審査をしてくれるところ。ところがここは財務省の窓際族の最後の局長級ポストと化していて、局長級が審判所長、審判官は税務署の役人が200人近く各地方でやっている。事務局ももちろん国税の職員だから、皆さんがこの支出は経費に認められるはずのものだと申し出て、それを受けて課税を修正するかというのが不服審判所であるはずなのに、実際の姿は国税庁の部局でしかない。もしちゃんとやるなら国税庁の外に不服審判所をつくって課税処分を批判的に再検討できるものでなければならないという常識的なことが法改正に出てこない。逆に、情報公開審査会を廃止して、行政不服申し立て審査会に統合しようとしている。結局は、各省庁の手の中のものを一切変えず、たとえば厚生労働省の中の審査会はたくさんあるが、役所のひとつの部署をいじる発想しかないということだ。霞ヶ関の正体見たり。このことについて与党の議員たちが、国会の立場からチェックできなかった。そのとどのつまりが道路特定財源であり、社会保険庁の問題である。

行政を監視する機能=マネッジメントが重要

 先週金曜に菅直人さんが関東地方整備局に押し込んでパフォーマンスしてけしからんというのが、議運の議題になった。こういう行為は注意すべきだと笹川議運委員長が言ったが、よく調べたら、関東地方整備局から「おいでいただくのを待っている」というファックスが党に入っていて、タクシーチケットを月に400万円も使っているのを国会に開示せよとして、3月から開示が伸ばし伸ばしになっているのを、5月15日にどうぞとなった。その前に契約書等の書類を国会に出せといったらタクシーチケットは大量にあるので来た時に見せると言う。そこで菅さんたちが行った。頭撮りだけでテレビカメラは退席したのに、話し合い始まったら、整備局長は「チケットを出せない、本省が出すなと言っている。」と見解がかわった。それならタクシーチケットは今どこにあるのかと聞いたら、12階に置いてある、では見に行こうとしたら、エレベーターの電源を切ったので動かなくなった、しようがないから階段をのぼっていったら、これは絵になるからテレビカメラが追いかけた。こうした経緯がパフォーマンスしたことにされてしまって、福田総理まで批判をし、いかにも民主党と菅さんがパフォーマンスを自己目的化しているという話にされた。この話を考えて見ると、なぜこういう経緯になったかを役人が隠して報告して自民党が鵜呑みにするという癖が治らない。点検ができない。国会議員という立場から行政監視、チェックする発想が与党を長く続けることによってほとんど消え去ってしまう。法案審査から、人事から、細かい問題まで、議院内閣制だから与党になればすべて賛成しなければならないのかもしれないが、あまりにもこのかんノーチェック病が際立ってきている。これは掘り下げて考えるとガバナンスの問題、マネッジジメントの問題だと思っている。有権者は安倍内閣には統治能力が無いという判断をした。自治体は改革派の知事が出てきて、トップが責任もって経営するという感覚になれたら相当なことができる。責任もってマネージメントをする。そういう観点で中央政府を見ると、だれが責任もってガバナンスをしているか。企業にあって政府にないのは労務担当重役。役人にまかせきって政治的な責任者がいない。みな無責任。各省の幹部と話しをしても、労務担当が誰かわからない。「官房長なのかな、事務次官か、いや秘書課長かしら」という感じで、どうもOBのえらい人がやっているらしいという話もある。これに関与できる政治家はほとんどいない。やはり組織運営という観点から考えて、日本の学問の中では端っこに置かれてあまり敬意を払われなかった経営学というものをもう少し勉強しなければいけない。そういう意識で組織運営に当たらなければこれから先は官僚も政党ももたないという問題意識をもって見ている。経営学的な手法が政党の運営にも必要だし、中央政府、内閣の運営に意識的に部署と人を作らなければ、いつまでたっても与党が役人にだまされ、野党と一緒に役人に責任を擦り付けることになる。「だまされていた」というが、これはみずからのガバナビリティの無さを自白していることである。その最大のものは、銀行局長も宮沢総理も不良債権の問題でだまされていた。「こんなにあるとは知らなかった」と、局長もだまされていた。皆がだまされたらガバナンスも関係なくなってしまう。

 司会者から「ポスト小沢」という話が出たが、時間軸で考えれば3年、5年経過すると必ず「ポスト小沢」は来ざるをえない。わが党は同じ当選5回でも40代50代前半の人が大変多い。彼らにはまだまだ時間があり、日々修練を積んでオンザジョブトレーニングをつんでいるし、政策的にはどこに出しても恥ずかしくない考え方をもっている。あとは皆さんに鍛えていただき、政治家の大事なことを身につければ、日本の政治は必ずうまくいくと確信しながら今の政治にかかわり、発言している。