2005.1.11(火)

於:産業経理協会「経済時事講座」

 

「日本の未来〜理念なくして改革なし」

 

はじめに〜スマトラ沖地震を通して見ると

 民主党で現在、政策調査会長をしている仙谷由人と申します。幸か不幸か、良いか悪いかを別しますと、今日本の政治の中で野党第一党の民主党という政党の政策責任者ですので、これは私どもが考えているところを端的に披瀝して、ご意見を頂戴していくという仕事があるんだろうなと、思い切って今考えていることをお話をさせて頂きたいと思います。

 昨年末、スマトラ沖の大地震、大津波というのが起こりました。もうかなり事態が明らかになってきているようです。非常に困難な問題が、これからもいっぱいあるんでしょうけれども、一つ結論的に申し上げると、やはり日本、あるいは日本人はアジアの中で生きていく、その方策を作っていくしかないということです。この間ASEAN+3とか、ASEANとの自由貿易協定の締結が急がれるとよく言われてきました。

 中国がASEANとの緊密な関係を作ろうとしている。そんなときに日本はどうしているのでしょうか。1970年代後半、福田赳夫総理がアジアへ行かれたときに日本のASEAN重視の姿勢を示し、そしてODA等々も相当つぎ込んできたわけですが、最近では中国の方がASEANとの関係が深いと言われてくる中で、今度の大震災と大津波が起こった。

 インドネシアのもの凄い被害を受けたところ、バンダアチェ、アチェ州は独立を求めるゲリラの拠点地域です。もっと言えば、今度震災被害を受けたところは宗教的に言えばアジアの中でもイスラム教の強いところ、そしてどちらかといえば所得が低い場所。そこにはリゾートの為の施設もあるけれども、その周辺は割りと所得が高くなさそうだと言われるところ。そしてそこには独立を求めるなり、今のアメリカのグローバリゼーションに対する反発でテロやゲリラが頻発する場所である。そういうところが偶然なのかもしれないけれども今度の大津波の被害にさらされたという、何と言っていいのかわからないような事態が出てきているわけです。

 こういった時にアメリカの政権・政治というのはなかなか大したものだし、ヨーロッパもしたたかだと感じるのは、直ちにパウエル国務長官が乗り込んだということです。やはりパウエル氏は多分イラク戦争でのアメリカの単独主義、どうもこれがうまくいかないと思っていたのではないでしょうか。最近の評論家的見方には、「文明の衝突」というハンチントンのような言い方もありますが、南北格差というよりも南北冷戦の時代が始まっているんだと、そういう状況の中で新しい国際秩序、平和的な秩序を作るとすれば、やはりアメリカのハイパーパワー的な軍事力だけで新しい秩序を作っていこうとしても無理なんだと感じた。やはりソフトパワーというか民政の安定というか、特にこんな大災害の時には一番に飛び込んでいって援助の手を差し伸べる、このことがアメリカに対して、あるいは先進国に対しての反発を和らげることになるのではないか、「文明の衝突」を緩和することになるのではないか、そんな思いがあったのかどうか分かりません。しかし、とにかく飛び込んでいった。ヨーロッパでのドイツ政権の援助の表明もその金額もそうです。

 それからオーストラリアも、これは短期的な金額ではないのでそれほどどうこう言えないのかもしれませんが、実は先程アメリカから来た投資顧問会社のトップの方と話していましたら、私もそこまでとは知らなかったのですが、オーストラリア経済というのが現在、はちゃめちゃに良いようですが、それはひとえにオーストラリアから中国への石炭と鉄鉱石の輸出です。もう一、二年前には考えられないような状況になっていて、景気も良いということなのでしょう。それで自信を持っていて、どんと大きく援助の申出、表明をしたということのようです。

 いずれにしても私は今度のこのマラッカ海峡を挟むイスラム圏が被害を受けたことをして災いもって福となすと言えるとすれば、この援助復興を国連中心というか国際協調の下でやっていくことなのでしょう。それが出来れば、これはアメリカとそれに追随した日本のイラク戦争の間違いの部分も、ある程度取り返しのつく可能性があると思います。日本は従いまして日本は今度の大災害に対する対処というのは、国内も色々な問題があるわけですが、精一杯のことをやるべきだろう、そんなふうにこの年末年始は考えました。

 

少子高齢化への対応策とは

 もう一つこの年末年始でやっぱりそうなのかと思ったのは、各全国紙が一斉にキャンペーンを打ち出した少子化の問題です。私も不明を恥じなければならないわけですが、去年の年金法案の審議をするまではこんなに急激な少子化が日本で起こっている、そしてそのことが何を意味するのかということについてあまりにも危機感が足りなかったという反省をしているのですが、これはもう大変なことが始まっている。

 日経新聞の元旦の紙面は1面、3〜5面が少子化問題で占められていました。その後もまた連載をされています。朝日新聞では幸田真音さんが昨年のIMFのアウトルックの「年金改革列車」がいつ出発するか、ということを書いていらっしゃいました。「年金改革列車」というのは50代以上がそれ以下の半分を超えるような人口構成になってくると改革は出来ないということなのですが、つまり日本の場合には2003年に50.4%になったということを言っているので、この「年金改革列車」が2003年に既に出発をしてしまっていて時すでに遅しだということ。そういう決め付けといえば決め付けですけれども、そういう仮説のもとに、日本は年金改革がほぼ絶望的だというようなことを幸田さんも書いていらっしゃいました。IMFも昨年からそんなことを言い出したのです。

 2043年に3600〜3700万人、このあたりで15歳から64歳まで現役世代の中の就業者数と65歳以上人口がクロスをする。要するにここで働いて稼ぐ人と年金をもらう人が全く同じ数、1対1になるということでありますから、これは生半可なことではございません。2000年には3倍近く65歳以上人口と就業者数の乖離、つまり一人につき2.5人ぐらいが働けばよいくらいで、現在の水準の65歳以上の方々の年金、それから皆様方もよくご承知のように高齢者医療、老人保険制度の拠出金で約20兆円強くらい、現役世代が入っている保険からその高齢者医療部門に拠出されているわけであります。

 それから介護保険制度は現役世代が支えるという現行の仕組みの問題があります。現在でも相当歪みが出てきていますけれども、それでも現役世代が比率的に多いことで支えることが出来ている。それが同じくらいになるというのはどうなるか、想像もつかない話です。勿論、別に65歳を超えた方々に生産性が全くなくなるというわけではありませんが、それにしても大層生産性が落ちてくるというか、今の日本のシステムの中では生産性を全面的に発揮できるような仕組みにもなっていないわけです。すると当然のことながら生産力の水準、成長力というのは落ちてくるということが見込まれます。現役世代の生産性を相当上げていかないと、現状維持をすることすらおぼつかないというのがこれからの日本の姿だ、それに気付くのがあまりにも遅かった。あるいは現時点でも果して気がついたような政策展開が出来ているのか、ということを絶えず振り返ってみなければならないと思います。

 

「内需」拡大から地方疲弊へ

 これは我田引水ではありませんし、我々がもし仮にもう少し早く政権の場についていたときに思い切って出来たかどうかもそれほど牽強付会な宣伝をするつもりはないのですが、私はずっと政策を野党の立場から見ていて何が間違いだったのか、何が手遅れになっているのかを考えると、そういう留保をつけた上で、やはり問題は85年プラザ合意、87年ルーブル合意ではないか。そこで87年に日本の「前川レポート」というのが出されて、内需拡大ということがしきりに言われたのですが、この内需拡大の拡大すべき「内需」の意味をやはり取り違えていたのではないかという、改めてそこに深刻な反省が必要ではないだろうかと思います。

 私は徳島というところで選挙をしていますし、そこで小さい頃から育ちました。実は私も先般1月3日に高校の同級生が寄り集まって還暦同窓会というのをしてまいりました。つまり今年の4月からどんどんと同級生が還暦になっていくのです。これは極端な例かもしれませんが、徳島のような地方都市、その中でも田舎へ行けばもっとその傾向はひどかったと思いますけれども、つまり87年、内需拡大が叫ばれて以降、その頃私はまだ政治をやっていなかったのですが、「中曽根改革」というのがどうも不動産屋的な開発中心の政治ではないか、そんなことを感じていました。

 当時弁護士をしていて、「地上げ」という言葉がそろそろ出てきた頃です。「地上げ」というのはなんだろう、弁護士でも「地上げ」の意味が分からなかったというのが1987〜90年のことです。そこで行われたことがプラザ合意、ルーブル合意をきっかけにした円高によるデフレ化を避けるために大変な過剰流動性を作り、それからアメリカとの構造協議が執拗に行われて、そこで内需拡大をせよということになった。皆様方も覚えていると思いますけれども、「570兆円なのか700兆円なのか」なんてことが言われて、90年以降はそれによってバブル崩壊後の景気低迷を何とか食い止めるというか経済対策、緊急景気対策等々の名目のもとに大変な財政赤字のもとで公共事業中心に景気回復を図ろうとした。これが87年以降のとりわけ90年以降2000年まで、あるいは今もまだ気分としては残滓が残っているのかもしれませんが、そういうことだったのだろうと思います。

 一方ではそうは言いながら円とドル、それからドルと中国の人民元との関係もありまして非常にいびつな格好でそのことが行われて、ドル・人民元のレートが設定されて今もほとんど原則としてはかわっていないわけです。そのことがより追い風となって、生産拠点のアジア化といいましょうか、中国化が進んだということが如実に見てとれる。デジタル化によって景気が回復し生産工場も日本に帰ってきつつあるという報道もありますけれども、大宗はそうは変わらないと私はみています。

 このことは反対に言えば製造業の空洞化ということであります。先程の田舎の話に戻しますと、当然のことながら2000年くらいまでは公共事業で食いつないできた。そして、今やその財政の破綻、とりわけ地方政府の財政赤字が極端に大きくなり、また財政基金として積み立ててあったものもなくなって公共事業ではほとんど単独事業というのが出来なくなった。7,8兆円の、地方財政計画といわれるものの中の単独事業費、つまり簡単に言ってしまえば箱物作りあるいは道路やその他でありますけれども、これを使い切っていないじゃないかと今度の三位一体改革の中で財務省から指摘されて、だから交付税を、地方に渡す金を減らしてもいいという議論がなされたわけです。しかしながらもう単独では出来ないし中央から補助金をやるからと言われても、事業費全体の半分とか三分の一の補助金にプラスアルファして、つまり三分の二を自分のところで用意をして道路なり学校なりあるいは特別養護老人ホームなどを作る、でもその後のランニングコストまで考えると出来ない、そんな自治体が増えてきている。

 そうなると地方では、これから何をして食っていったらいいのか、よくわからないという雰囲気が大変強くあります。つまり雇用者も相当パート化したりフリーター化しているのですが、基本的に自営業者、大企業の工場、あるいはそこで下請け化している中間企業・中小企業のようなところに勤めているという形態で、日本の経済は進んできてました。中小企業には皆様方ご承知のように就業者のほうから見ると75%位いらっしゃいますけれども、この方々はどんどんとする仕事がなくなっていっている。特に私の世代のように定年を迎えますと、58〜60歳から先、何をしていったらいいのだろう、何で飯を食っていったらいいのだろう、年金までは5年間ある、そして年金が支給されるようになってもそれだけで足りるのか、と思っています。そのことがやはり今の地方経済の停滞を生んでいる。

 

本当に必要な教育を

 先程の87年の内需拡大の話に戻りますが、この頃というのが多分改めて何をするか、何をして飯を食っていくかを考えて工夫を出来る、そういう力を持つような教育が改めてされなければならなかった時代、こう考えなければいけないというのが私の最近思っていることです。それも画一的な、あるいは中央からの管理的な教育ではなく、地域の特性に根差したような教育が子どもには大切で、あるいは大人もそういう再教育の機会を受けられる、そういう仕組みづくりが実は必要だっただろうと思います。

 日本が子ども達の教育に使っているお金が先進国レベルでは非常に少ないのです。奨学金の水準、授業料との関係での奨学金の水準というのも非常に少なくて、これでは教育におけるディヴァイドが当然のことながらもの凄く出てくる。反面チャレンジ精神あるいは子ども達の自立精神というのは当然のことながら親掛かりでいかざるを得ない。親の方も余裕があるものですから、子どもが上級学校へ行きたいといえば全部かぶってやる、そんなことだったのだろうと思いますけれども、そういうひずみが今教育の世界に、子どもの世界に集中して出てきている。

 この15年、必要だったのは子どもの教育、大人の教育、あるいは人材育成といった方がいいのかも分かりません。少子化の問題から言えば子育てにお金と人材、資源を投入するということが非常に必要だったのだ。遅きに失したとはいえ、これをやらなければならないと改めて考えているところです。私どもは自身も含めて実生活がそうですが、この中にいる皆様も相当部分の方は子どもの教育は女に任せる、妻に任せるということできたのではないかと思います。そして、子どもの自主性、主体性に任せるという美名の下に家庭を顧みずにきた部分が現在の政府の政策の方向と重なり合って、大きな歪みを生んでいると思います。

 NHKの特集番組で学校をこう変える、地域で学校運営理事会、協議会というものを作ってコミュニティスクールを作るという放送が以前ありました。そういうことも含めて学校が地域に開かれる、その学校に親もあるいはそれ以外の大人も参加をして、学校を地域活性化の核にするという、地域コミュニティの核にするということが、本気で行われないといけない、この国では一方で引きこもり、あるいはニートと言われるようなことも全く増え続けるでしょうし、地域生活自身もますます縮んでいってしまう、あるいは皆がばらばらになって分裂型の雰囲気の中で様々な社会的不安も出てくるのではないかとそんなことを思うわけです。

 

憲法論議から世界をみる

 現在、憲法論議が新聞紙上では憲法9条の問題を中心にして盛んに囃し立てられるというか、憲法を改正すべきだ、改正してもいいという議論が多いという線に沿ってなされています。私、あるいは民主党はいよいよこの憲法を、つまり「国のかたち」をどう改めて考えるのかについて議論し、そんなに遅くない時点で「国のかたち」を変えていかなければ如何ともし難いという意見で大体固まっています。それはなぜかというと先程から申し上げているところと関係があります。

 教育の問題にも端的に表れているように、国家、中央政府が仕切ろうとしても無理なんだ、ミスマッチを起こすのだということ。つまり生活周り、身の回りのことは地方政府で行うということにならないとそれは全く無駄を生む、あるいは無駄を食べることになる。つまりタックスイーターの方々がどうしてもそこに既得権層を作って変えられないことになっているのです。

 やはりいまや国家は大きすぎるということなのでしょうし、他方いまや国家は小さすぎるのです。今度の災害の問題にしてもそうです。昔我々が学校で習ったことによれば、例えばポンペイが火山の噴火によって埋まってしまった、これを瞬時に全世界の人々が知るということはなかったと思います。まだ地域的には何かが起こっても報道管制のもとで我々のところに流れてきていない部分はありますけれども、この情報化というのは大変驚くべき事態です。

 情報化とグローバリゼーションというこの合作物はすごいもので、ウクライナの大統領選挙にこんなに全世界の人々が注目をしたような格好になる。あるいは今度のスマトラ沖の大津波の被害についてもああいうニュースがこれだけ流されると、人間にはまともなところがあるようで、当初予想した募金額を超えてどんどんと額が膨らんでいく。これは多分もう主権国家、中央政府が中心となった国家が仕切れば何とか国民が保護されるとか、そういうガバナンスの仕組みだけで何とかなると、そんなことではない時代になってきたということを表していると思います。

 これは夢のような話かもしれませんが、最初に申し上げましたけれども、アジアの中でどうやって我々がガバナンスの仕組みを作っていくか、早急にEPA,FTAだけではなくアジアにおけるガバナンスの仕組みをどう作るのか、そこに入っていかなければならない、私はそう思っているところです。

 そんなこともありましてEUの先般の憲法条約のことですが、なによりもこのEU25ヶ国というのは、国境を挟んで国防軍を対峙させて防衛をする、あるいはそのことによって何かがこじれたときには戦争になってしまうのをやめようというのを第一義的な目的に、それならばエネルギー源の共同開発利用というところから始めればいいのではないかというのが始まりだ、というのは皆様方もご存知だと思います。ついに25カ国の内部では国境線を無くして人の移動を自由にし、物の移動も勿論、お金は単一の通貨にする、情報は自由に行き交う、そうして国境線を挟んで国防軍を対峙させる必要が全くなくなった世界を作り上げたのです。皆様方ご承知のように第一次、第二次大戦で行われたことを考えれば、たった60年でここまできたというのはなかなかたいした知恵だなあと私は思います。

 その中で、EUにこの度入ったエストニア、ラトビア、リトアニアという国をみてみると、一人当たりGDPが大体3000〜4000ドルです。フランス、ドイツ、イギリスというのは2万4000〜5000ドル。ちなみに日本はご承知のように3万5000〜7000ドルとか言われています。GDPが2万5000ドルと4000ドル、これだけ経済格差が大きいところでも一緒になってお互いに利益、不利益あるけれども統一の市場、あるいは統一した人権保障というふうなものでやっていこうというのは、これはなかなかのものだと私はみています。    

 日本もアジアに対してはそういうコンセプトで働きかけて、あるいは構想を提起しなければならないのではないでしょうか。そうだとすると今言われているEPA、FTAというのは、外国人が日本に来て仕事に就く、生活をする、このことをきちんと受け入れて許容出来るのかというところ、覚悟が出来るのかというところで相当煮詰ってくるのではないかと思っているところです。そんなこと言うけれども北朝鮮の状態を見てそんなことが出来るのか、というようなことを言う方がいると思います。中国だって報道されているところでは内陸部と沿岸部の経済格差が大変激しい。もう上海あたりは一人当たりGDPが1万ドルにまで上がっているのではないかという説まであるぐらいだけれども、農村部へいけばそれこそ北朝鮮と同じように1000ドル以下というより300ドルくらいしかならないような生活をされている方が多いというのも事実だと思います。そういうところと果たして国境をなくすことが出来るのか。ただ、これに今答えを出せと言われたらNOといわざるを得ないのかも分かりませんが、ODAの使い方にしても、そんな将来像を視野に入れた政策が必要になってくるんだろう、そんなことを考えています。

 従いまして私は今日本で、特に今年からはっきりと私どもが国内的に重視、早急に手をつけなければならないのは子どもであり、教育の問題である。改めてそこに重点を置かなければならないと思いますし、そしてまたそれを地方分権、地域主権の下で行う、そういうことでなければならないと思います。また対外的には、アジア。アジアの中でどう生きていくのかということを政策の柱にしなければ、いよいよ「縮む日本」ではないけれども、「沈没する日本」になってくるのではないかと思います。

 

今国会に向けて

 ところが、これは半分自戒、反省を込めて言うのですが、メディアその他での永田町のイシュー、課題は、一に「政治と金」です。二にこれは重要なことでありますけれども「イラク、北朝鮮」。それから三には本質的には先程申し上げていることとそんなに違わないのですが、「年金、社会保障」。これらが政略的な観点から語られざるを得ないということが日本の政治の元凶なのです。もちろん私ども野党にも大きな責任があるわけですけれども、そんななかで尚且つ、このイラク戦争の問題というのは当然のことながら出てくる。エネルギー政策、戦略や、先程から申し上げているイスラムと西側世界、あるいはアジアの中の日本でもイスラムとどう協調共存を図っていくのかという大問題がそこに横たわっていて軽視を出来ない問題です。

 しかしそういう中で新聞をご覧頂くと分かりますけれども、どうも政治の世界、政局は「郵政民営化」をめぐってあれやこれやの党内的、自民党内の政局、綱の引き合いが焦点の一つになりそうです。それからこれは与野党間のイシューでありますが定率減税の話。そして、もう新聞紙上では相当過ぎ去った問題のように思われていますけれども、大変深刻で大きい問題は当然のことながら地方政府の財政、そして国家の財政問題です。そういう多岐の議論の中でやはり今回の国会が郵政改革、郵政民営化が最大のテーマになってここを巡って政治の世界が動いていかざるを得ないとすれば、これは相当ミスマッチになるのではないか、そんな感じが致します。

 そしてまた教育基本法の改正、憲法改正の問題もあります。私も憲法の問題は先程から申し上げているように、改めて国際的なガバナンスあるいは国と地方の関係を含めたガバナンスのあり方、これには勿論軍事的な問題、安全保障の問題を含んでいますが、そこを21世紀的なコンセプトで考えるべきだ、考えなければならないということで中間提言も作りました。さはさりながらそれが最も日の当たるイシュー、課題であるかというと、どうも違うのではないか。

 とりわけ教育基本法と現在の教育の現状を思い浮かべていただきますと、どうも教育基本法で愛国心を規定し、そこで教育基本法上愛国心を教えることが定められたからといって今の教育が変わるのだろうか。道徳教育が指導要領に入ってきたのが昭和33年。道徳教育が入ってきてから、そういう意味での道徳というのは大人も子供も良くなったのかと言われても、そうではないという説もある。教育の世界はもっと現状に合わせて、家族構成や親との関係、あるいは地域社会というものも含めて、もう少し違った角度からアプローチが必要なのではないか。そんなことを考えます。

 ただ、教育基本法のような大問題の議論もしなければならないと思いますけれども、しかしそれを変えれば今の教育が抱えている問題が解決されるとは考えられない。また私ども男が、女子供の問題として、女子供に任せておけばいいと軽視をしていた科が今の少子化問題に出てきていると私には思えてならないのです。

 実は私どもは「次の内閣」というところで民主党の予算案というものを作り、政権を持っていればこんな予算を作りますということをやるつもりにしています。これは作り始めてもう3年目に入っていますので、作業としては慣れたものですが、あとは何を重視するかということです。政策的に重視するものに手厚く予算をつけて、比較的比重が軽いものは減額する作業ですが、そういうプライオリティをつけた予算を組んでいく。

 もう日本の企業社会では改革というより、自らを自己否定するかのように身をそぎ落とさないと会社が潰れるという切迫感があって、ここ数年ずいぶんとリストラ、再構築をして企業業績を回復したところが多いわけです。しかしながら霞ヶ関、政界というのはそういうわけにはいきません。

 やはり今度の予算を見て頂いても、あるいは三位一体改革のあれやこれやの跳梁跋扈をみてもどうしても変われないようです。これはたぶん政権交代をすること、そして同時に議院内閣制本来の官邸主導の内閣を作る、それから国家公務員の局長以上か審議官以上か、その辺りはポリティカルアポインティに完全にするということなくしては予算の配分というのも変えられないのだろうと思います。民主的予算編成の仕方といわれてきた、ボトムアップ方式、積み上げ方式の予算編成、今年は何パーセントカットだよという一律シーリングのやり方というのは民主的なように見えますけれども、資源配分というか予算配分の点では変えられないということを意味しているのです。

 最後に一例ですが、例の少子化白書によると、社会保障費に占める子供一人当たりの費用が17万円で65歳以上の方々に占める社会保障費の額が247万円という約20倍だといわれています。しかし未だに今年の予算でも子供の問題、子育ての問題、子供に対する教育の問題と考えても幼稚園と保育所の2本立てがどうしても変えられない。保育所が厚生労働省、幼稚園が文部科学省、そして族議員の親玉は文部科学省が森喜朗、厚生労働省が橋本龍太郎、そこに票がぶら下がっていて変えられない。ここはやはり政治のほうから変えるしかないのだろうと思います。我々は昨年の参議院選挙の前にヨーロッパの真似事のようなものですが「こども・家庭省」というのを作って子育て政策については一元化をするべきだと言いました。つまり子供、家庭の問題というのが複数の省庁に散らばって施策がなされていますが、これを一本化するべきだというふうに提起しています。

 出来るかどうかというよりも、むしろやるしかないわけで、そのためにはやはり今の霞ヶ関の縦割り構造を変える意志と力と構想と、戦略的に霞ヶ関の官僚達にごまかされたり理論で負けたりしない、そういう準備が必要だろうと思いながら新年を迎えました。雑駁になりましたが、時間がまいりました。どうもありがとうございました。