(2004.10.28)
於:細川隆一郎氏勉強会(東京プリスホテル)
仙谷由人

「日本政治再生に向けての三つの課題」

 

はじめに

 今日は伝統の細川隆一郎先生の勉強会にお招きを頂きまして、ありがとうございます。自己紹介がてら話を始めさせていただきます。

 思い起こせば、1964年、東京オリンピックの年に18歳の少年が東京に出て参ったわけであります。それでなんとか飯にありつこうということで司法試験を受けるために一年留年をしましたら、運よく合格をしたんですが、その為に東大紛争の末期に引っかかりまして、結局のところ卒業できずに中途退学で司法研修所に入りました。

 1969年に司法研修所に入りまして、1971年から東京で弁護士活動を始めました。当時の学生の気分は、ある意味で政治の世界というのを完璧に馬鹿にしていまして、とりわけ議会でゴソゴソとあれやこれや言っている連中は相手にしないという雰囲気でした。私はそれほど激しく学生運動に参加していたわけではないのですが、気分は反権力・反体制の中で学生時代を過ごしたこともあって、あまり金儲けをしたり、会社や官庁で出世していくのを潔くしないという気分もありまして、弁護士になったわけです。

 そうこうするうちに19年経ちまして、1989年に当時の日本社会党から、今から考えると残り火のような話でありますが、徳島から選挙に出ないかという声をかけられました。1989年は皆さん方ご承知のように、振り返ってみますと、夏の参議院選挙が行われたのですが「おたかさんブーム」と言われ、「リクルート選挙」と言われ、「消費税選挙」と言われました。

 

産業構造の転換と日本政治の対応

 要するにそれまでに、大平内閣が一般消費税で選挙に負けるという失敗をしながら、にもかかわらず当時の政府・与党はここは執念で売上税をやらなければいけない、そこで出てきたのが中曽根内閣でしたが、その中曽根内閣も売上税導入に失敗をした。しかし、次の竹下さんがある意味で日本の将来のことを考えていたのか、あるいは大蔵省に忠実だったのか、両方かも分かりませんが、消費税を無理やり88年の国会で通した。

 細川先生が今おっしゃった財政あるいは経済の話というのは、私は何も付け加えるものがないほど正鵠を得ていると実感していまして、私と同意見です。1987年に前川レポートというのが出ましたけれども、この前川レポートが分析・指摘した議題について解決できないのみか、真正面から取り組むことができない。日本の特に80年代後半から90年代そして現在まで、日本がこんな体たらくと閉塞状況や宿_を治療して解決をして、前に進むことができない、そのとどの詰まりだと思います。

 まだ当時私は弁護士でしたけれども、この前川レポートがいう、内需拡大こそが重要だというこの「内需」の意味が、その後の自民党政権が先程申し上げた消費税導入に失敗をしかけたというこのトラウマとともに、大変大きな構造問題として日本に残っているということだろうと思います。

 結論から言いますと、この「内需」というのは実は日本の産業構造が情報化・ソフト化・サービス化することに伴う、つまりサービス事業をどうやって日本の経済の中で増やしていくのか、効率化されたサービス産業を、あるいは製造業でもサービス化された製造業をどうやってつくっていくのか、サービス消費が増える構造に変えるということだったと思います。そういう政策が意識的に政府の手で打たれることがなかったというのが最大の問題だと考えております。

 つまりそのときに内需拡大の「内需」は、公共事業をやって政府支出による需要を増やせばそれが内需拡大なんだという極めて安易な、歪められたケイジアンポリシーが採られた。ここにアメリカとの日米構造協議も降りかかってきまして、アメリカは、「さあこの5年間で530兆円やるべきだ」と。ついにはそれを630兆円の「内需」を拡大すべきだということを言い出しまして、それを大蔵省その他の諸官庁も含めて、「それはいいことだ、公共事業だ」と。1991年に90〜91年の地価高騰に対する批判をかわすための総量規制が行われた。景気循環を無視した地価高騰をかわすための金融的な総量規制。それによってバブル崩壊を増中させ、これに慌てふためいて建設国債、赤字国債を発行しての内需拡大でしのいでいく。91年のバブル崩壊後に数限りなく打たれた経済政策というのはほとんど財政赤字をもってする需要刺激政策、政府による需要創出政策、それも公共事業中心政策ということであったわけです。

 

農業振興に繋がらなかったガットウルグアイラウンド対策費

 細川内閣が93年に政権交代を実現したわけでありますが、皮肉なことに細川内閣の最初の仕事は、例のガットウルグアイラウンド対策。そこで米の輸入を受け容れざるを得なかったことでした。それに伴って細川内閣ですら6兆100億円のガットウルグアイラウンド対策費を拠出した。その時点で私は、93年に落選をしていまして残念だったんですが、浪人をしながら見ていまして、この6兆100億円のガットウルグアイラウンド対策費と称するものが、共産党から自民党まで全党一致で決められていくというこの姿に対して街の声、サラリーマンの皆さんの声は、「冗談言うな。なんで米農家対策かなんか知らんけれども6兆100億円も遣うんだ」という声が圧倒的だったように私には聞こえてまいりました。つまり、多分あの時国民投票にでもかければ、75%ぐらいの人が反対をしたのではないかというぐらいの雰囲気があったわけであります。この農家を保護する、農業を保護するという建前の下に、全党一致で6兆100億円のガットウルグアイラウンド対策費が決められていったというのは、誠に奇妙なことであります。

 私はそれを見ていまして、全党一致ものというのは大抵どこかおかしいというか間違っている、そう考えるようにしなければいけないと思い定めました。最近も思います。やはり少々、2割や3割の反対がある方が健全な理論がどちらかにあるということだろう。全党一致ほどおかしいものはないという、皮肉屋かもしれませんけれども、そういう風に思うようにしています。

 そしてまたこのガットウルグアイラウンド対策費6兆100億円というのも実は農業対策、農家対策にはほとんど使われていなかったと言っても過言ではないわけであります。つまり皆様方もご承知のように、これは農業土木と称する公共事業で、土木工事、農道、あるいは砂防ダム、あるいはひどい話は温泉ランド、農道空港というような、諫早湾干拓はまだやっていますけれども、「今更農地を増やしてどうするんだ」という干拓事業、こういうことに使われたのが6兆100億円。農家の方々に聞いてごらんになればお分りになると思いますけれども、農家でガットウルグアイラウンド対策費6兆100億円でもって恩恵を受けたとか、いい目をしたという方はほとんどいないはずです。つまり極論しますと公共事業と農協に対する補助金として全部消えてしまった。そしてその裏負担なのか、あるいは地元負担金なのか分かりませんけれども、そのために今農家も地方自治体も苦しんでいるというのがこのガットウルグアイラウンド対策費の残した爪あとだと思います。

 

中央依存、お上依存症候群を打ち破れ

 そういう構造で日本の経済政策と称するものが行われてきたということです。そこで、政治の側の話を先程の年次に引き戻して考えますと、私はこの日本の今の病気というのはやはり中央依存症候群、あるいはお上依存症候群が益々ひどくなったと思います。自己責任の原則、自立というふうなことがしきりに言われますが、物事は相当逆の方向に動いている。経済界も含めて相当心理的にも、「そんなこと言ったってお上がそのうち何とかしてくれる」とか「助けてくれる」という気分が相当日本に横溢しているのではないか。そのことが今日本の病気となって現れてきていると私自身は思っていますが、実はそこがもう既に臨界点に達したというのが今の状況だろうと思います。これは中央集権的な資源の分配の構造、これが日本の予算構造に一番現れていますが、ついに「ない袖は触れない」ということになってきたということです。

 今の時代を特徴付けるコンセプト、キーワードというのは、やはりグローバリゼーションと情報化ということです。そういう大波の中で日本は一国的に中央集権的資源配分構造を維持しようとします。しかしお上にいくら期待しても、お上がそれをできなくなっている。あるいは大銀行、メガバンクというのもそうですけれども、銀行でお金を集めてそして貸していくということが、限界に達した。全てがダメだとは言いませんけれども間接金融というやり方に限界が来た。メガバンクがリスクを取れなくなっている。国家がリスクを取れなくなっているというのが、今の時代の特徴だろうと思っています。

 リスクを取れないということは裏を返せば保護的なことが出来ないということです。郵貯もまことにその通りだと思います。郵政改革と言われている郵貯民営化あるいは簡保民営化について私は経済理論や金融論としては、何らかの方法で民営化をやっていかなければ持つはずがないと思います。350兆円の金を国が集め、利子をつけて国民に返すということですが、反対側ではこの350兆円を運用して付加価値をとってこなければいけない。しかし、これができない。銀行も運用ができないから、破綻をきたしたわけです。中央集権的に日本国内で金を集めて運用をしてそれを返すという、この運用というところができなくなっている。

 つまり日本という国、中央政府が国民の皆様から郵貯・簡保で預かったものを運用をして国民の皆様に返すわけですが、「運用をして」というところが甚だ難しい。皆様方ご承知のいわゆる財投機関というところに貸した瞬間に、多分3分の1は腐り始めていると思わなければならないようなことになっているのです。それではどこで運用するのかということが本当は問われているのですが、今度の郵政改革ではそのことは「臭い物にふた」というよりも、わからないから何も言わないというふうになってしまっていると思います。

 従いまして、どこかでこの皆様方から預かるお金を預からないようにして、この郵貯・簡保の世界を縮小させるということが重要なことでありますし、そしてその金をリスクマネーとしてそれぞれの人にリスクをとってもらう方向に変えていく、それ以外に方法はないと思っています。それをどういう時間軸の中でやるのかということを示さない限り、この話は大声で百回民営化と言ったところで意味がない。この350兆円のうち150兆円のお金が国債を買っているわけですから、国債を買うことを逓させ減れば今の日本の長期金利、国債の価格がどうなるかということは目に見えた道理ですが、小泉さんはそんなことはあまり気にしないで民営化を叫んでいるのではないかと思います。

 

資源配分構造の分権化を

 先般も予算委員会で郵政改革の話としてそこを質問しようとしていたんですけれども、私の質問者の役割としては「政治と金」の話にあったものですから、そこまで話がいかなかったのですけれども、ここが大問題だと思います。

 従って、反対に言えば分権的に資源配分の構造を変えなければならない。金融の世界、銀行の世界、郵貯の世界もそうです。そしてこの予算の世界というか中央政府と地方政府の関係もそのように変えない限り、日本はこの閉塞状況がますます高じて、経済学上の用語で言えば不均衡は拡大をし、そしてどこかでクラッシュが起こる。つまり政治的なクラッシュとしての政権交代が起こり、そこで本格的な改革政策が行われるのか、それより先にマーケットのほうがクラッシュを起こすのか。マーケットのクラッシュというのはたぶん国債の暴落ということに、長期金利の急上昇という格好で現れると思いますけれども。どちらが先か分かりませんが、私はこの2,3年のうちに起こってくるだろうと考えます。

 ここから先はほら話に近い話になるんですが、私はいつも若い党員、あるいは議員に民主党がどんなに非力であろうとも、民主党の議員がどんなに嫌がっても政権交代は必ず起こると言っています。「それが歴史の必然だ」とこう言っています。それは今申しましたリスクを取れなくなってる構造を変えてやらなければ、この日本の社会は生き延びることができなくなっている。今の財政を見れば明らかです。財政赤字が多くて財政が悪いから日本がこうなっているのではなくて、反対に社会的な色々な矛盾を解決すると称して、先送り策をやってきたために財政が今のような姿になっていると見ています。日本のあらゆる矛盾の表現が財政赤字だと見るほうが正しいんだろうと考えています。

 今日本での内需拡大の「内需」の話をさせて頂きましたけども、私は日本でこの資源配分を分権化するということを自民党は出来ないと思います。税収が非常に少ないということで、借金をして将来の世代につけ回しをして配分すると。この構造を自民党は絶対に止められないと思います。

 三位一体の改革というものが、財政政策審議会の下、財務省と総務省の綱引きの中で行われています。ここから始まる霞が関のバトルを皆様方よく見て頂きたいのですが、この補助金を交付するというやり方を止める、つまり自由に使えるお金として地方自治体に税財源を渡すということが出来るかどうかというのが本質ですが、一番分かりやすい話は事業官庁が存在理由を失くすかどうかという話です。

 先般も国土交通省あるいは農林水産省の若い改革志向の役人と話していましたけれども、この補助金の査定、それから事業認可、補助金交付、この仕事を中央官庁から取ったらどのくらい人間が余るかと聞きましたら、国土交通省の人間は「仙谷さん、農林水産省は9割位いりません」という話ですね。一方で農林水産省の人間は「いや国土交通省こそ9割位いらないんじゃないでしょうか」と言っていますから、たぶんこの補助金の業務を失くせば、文部科学省も厚生労働省も含めて事業官庁というのは存在理由がなくなってくる、こういう話であります。そうなればそこで働いている方々は地方自治体へ行って、地域活性化とか発展のために、「我々のキャリア官僚としての、霞ヶ関で修練されたパブリックマネージメントの技術を活かして欲しい」と売り込まなきゃいけない時代になるはずでありますが、そこまでの覚悟がある人はいません。

 そしてまた政治の側では、中央のお金を地方に配ることを政治だと思っている政治家がほとんどです。さらに言えば地方議会の中でも、県会議員とか市会議員とか町会議員がやっていることというのは、皆様方も見てお分かりだと思います。と言うよりも「見てもアホらしいから見ない」ということになっているのでしょう。本当にあそこで政策や条例を議員が作ってそれを競い合っているという姿はほとんど見られない。我が家の近く、我が地域に、あるいは我が町に、どういう道路を持ってきたとか、会館を持ってきたとか、そういう話がまだ蔓延しているのが地方政治の世界です。どこかに「打ち出の小槌」があるのならこれは永遠の話ですが。このどこかにある、あるいは共産党的に言えば国庫とか公的資金という話でありますが、これを配るのが政治だという風に有権者の多くもまだ思っています。また政治家もまだほとんどがその中に漬かっているわけです。そして、何よりもそのことを終わらせるのは、「無い袖は振れない」、「金の切れ目は縁の切れ目」という財政の話であります。政治の質というのはここから先の話だと私は思っています。

 先程1989年の話をあえて出させて頂きましたのは、私から見ればこのリクルート消費税選挙で自民党は極めていい勉強をしたと見るからです。93年の政治改革と称する選挙で細川内閣にいったん政権を奪われるというこの経験は彼らにとってはきわめて高い授業料だったのか、あるいは良い教訓だったのか分かりませんけれども、何が何でも政権を手放さない、政権を手放した瞬間に自民党という政党は存在理由がなくなる、自民党を維持するイデオロギーはなくなるんだということに気がついたのだと思います。

 皆様方に自民党という政党とアメリカの共和党の保守的な層、イギリスの保守党、あるいはドイツのキリスト教民主同盟、こういうものとの差を比べて頂ければ非常に良く分かると思うのですが、それが自民党のいいところでもあったのですけれども、政党としてのイデオロギー性がほとんどありません。

 さらに今諸外国で問題になっているのは、男と男の結婚をどうするのか、堕胎をどうするのかというような、保守的な層は絶対に神の子としての人間の世界にあってはならないと表明するような、非常に宗教的な感覚に裏付けられたものです。この話は多分クローンとか、いわゆる近代科学の発展とも対立をする部分になります。それからアメリカは多民族国家としてしか生きていけませんから、自国内では排外的な空気というのはそれほど強く出てこないのかもしれませんけれども、悪くいけばそういう保守化の傾向というのはダーウィンの進化論からナチズムまで行き着く、そんなことにまでなっていくのだろうと思います。

 自民党の良いところというのはそういうイデオロギー性がほとんどないところです。それでいてやっぱり旧来型のというか、戦前型の懐古主義的な方もいらっしゃいますけれども、それが本流にはならないというところが、自民党が国民政党として存在してきた原因だと思います。

 この間、じっと自民党の政策をご覧頂ければ分かりますけれども、これがアダム・スミスの言う自由主義なのか、あるいは自由主義の政党のやることなのかと、そんなことが多いと思います。今、戦後60年近くかかって築いたシステムのなかで、良い悪いは別にしても、いかに社会民主主義的な政策で格差がなるべくつかないような結果の平等に近いものを、ここ5年位前、あるいは10年位前まで行ってきたのかということを考えると、自民党というのは本当にイデオロギーのない、ある種の現実的リアルポリティックスに長けた素晴らしい政党だったと言えるかもしれません。そういう政党でありますから政権を離れると存在できなくなるというのは当然のことです。

 そこで、そのために彼らが考えたのは、絶対に大増税とか財政を理由にして国民に負担を掛けることは出来るだけ少なくしなければならないということです。このトラウマのような思いをどこかで自分たちのものにしたというのが自民党なわけです。バブル崩壊が我々の目に見えてきてから12年ですが、その当時行われつつあった議論は、「大きい政府か小さい政府か」ということでした。こんなに経済対策としての公共事業を赤字国債でやり続けた国というのは、ありません。

 ちょうどその頃ヨーロッパはEU加盟、EU基準ということで財政において対GDP比で赤字が3%を超えたところはEUに加盟する資格がない、こういう基準を作りました。日本は現在でも8%くらいということですから、当時は対GDP比は10%を越えた年もあったのではないかと思います。そういう赤字の中で今までやってきたのです。要するに何故財政赤字で経済政策を打つか、あくまでも政権を維持するためだけ、そのためだけだと私は見ています。

 何故増税を言えないのか。1998年の橋本内閣のときに、さすがに財政構造改革法を作って増税+医療費の値上げをやり始めたら、一瞬のうちに所得減税是か否か、恒久的減税か恒久減税かで参議院選挙が行われて、橋本龍太郎さんが吹き飛んだ。そんなこともあって出来るだけ増税をしない。それで、この間、唯一成功した国民に対する負担増は介護保険でした。そのときに自民党が考えるなかで、税でやると負けるけれども保険でやるとごまかしが効くという悪知恵もあったのではないかと思います。それが今度の年金保険料のアップと給付の減という政策となって現れてきたわけです。

 この年金問題の中では皆さん方ご承知のように、「そうは言うけれどもこの国民年金の空洞化はどういうことなんだ。50%の人が保険料を払わないようなそんな保険が持続可能性があるのか」という、この問いに自民党は全然答えられない。それから少子化の問題というのは、これから申し上げることと少々関係があります。この少子化問題が非常にドラスティックなことに誰もがショックを受けたはずですけれども、これがたぶん今行われている年金の制度を根底から揺さぶって、これによって国民の不信感を煽り立てている。年金がそういうものになってしまった。はなはだ残念なことでありますけれども、必要以上に、本来の姿以上に不信の目で見られる、そんなことだろうと思います。

 私は政治の構造としては自民党が増税をできない与党になってしまったということが、この政党の限界を表していると思います。私は鳩山由紀夫さんが民主党の代表のときに企画委員長をしていました。2000年の選挙の前でしたが、決して成功したとは申しませんけれども、このプライマリーバランスをどうやって回復させるかという絵を描いて、「鳩山さんこれでやろう。これをやらないと信頼を得られないと思う。」そう言いましたら、鳩山さんは「そうだ、これをやろう」ということで、もちろん道路財源の一般財源化も含めてですが、尚且つ鳩山さんは国民にも厳しく思われることも言わなきゃいけないということで、彼が言い出したのが課税最低限の引き下げでした。つまり低所得者の方々にも少し、わずかでも税金を払ってもらいたいということを彼は言ったわけです。しかしながら自民党からそれがむしろ袋叩きに会うというこの構造が日本の政治の構造です。

 次に、昨年の衆議院選挙と今年の参議院選挙では、年金問題でなんとか国民年金を基礎年金として維持可能にするためには年金目的の消費税3%でも皆様方にお願いをする。そのことによって最低限の年金を維持するということも先般の選挙で、私は党内でも強く主張しまして、そのことだけはなんとか辛うじて、ある意味成功したという気もしないではありません。

 自民党はそれですら批判に回ってくる。公明党と一緒になって批判に回ってくるというのが、今の財政問題を巡る非常に小さい話。つまりそのことによって日本の今の財政破綻、財政赤字が直ちに良い方に向かうなんてそんな大きな話ではないけれども、その小さい話でも、増税とか財政の健全化というものについてほとんどプランを出せなくなってきたというのが今の自民党の姿だと私は見ております。それでは与党の責任は果せない。

 非常に単純な政治の話をしますと、やはり与党というのは責任を持って国民に負担を要請しなければならないこともあり、そのことによって選挙に負けることもあるんでしょう。そのときに野党が代わって政権に就こうとするとき、例えば1989年、90年の日本社会党をとってみれば分かると思いますけれども、消費税廃止を言っていました。私は社会党の新人候補者として、もしこれで政権でも獲ったら、明治維新で尊皇攘夷を言いながら政権を奪取して政権を獲った次の日ぐらいにべろっと赤い舌を出して尊王開国、文明開化、鹿鳴館、こういう手品みたいなことをやれる人が社会党の中ににいるんだろうと思っていました。そう思って選挙を致しましたが、そのようなやり方も無きにしも非ずです。しかしそんなドラスティックな、180度手のひらを返すような、離れ業というか荒業では、国民に信頼を受け続けられない、必ず政権から滑り落ちることになるんでしょう。1年持つのか3年持つのかわかりませんけれども、そうだと思います。

 あるいは今で言えばマニフェストですが、公約をしたのと違う増税をやり始めた時に国民から不信任を突きつけられるということもあるのかもしれません。しかしながら、そうあるのが正しい姿だろう。そういう政治が本来は行われなければならないと思います。

 今問題になっている分権の話は実はそういう政治構造を地方レベルでもっと分かりやすい形で行うために地方分権、分権財政を構造としても作る、国民が自分の負担と受ける行政サービスをちゃんとわかって、選択をするという政治制度を作らないといけない、そういうことです。口をあけて待っていれば補助金が下りてくる、実は補助金の方がいいんだ、その方が責任がなくていいんだということを断ち切らない限り、私は日本はこれからもうまくいかないどころか、大破綻をきたすと思います。その為にも三位一体の改革というのは方向性としては間違っていないけれども、スピードがないのと、この今のぐじゃぐじゃになった政治構造に対して小泉さんが果してリーダーシップを取れるのか、ここが大問題であります。そこで自民党の族議員の方々は自らのレーゾンデートルを掛けて、ここでこそ大いに戦ってもらわなければいけないと思っています。

 

 

女性を活かす政治へ

 今日は分権の話を多くさせて頂きましたけれども、あと二つ今の日本が抱えている大問題があると思います。小泉政権もそのことは、ほとんど手が着けられない問題です。先程サービス化経済に対応する政策をうたえなかったと申し上げましたけれども、もう一つは女性のポジションの問題であります。女性の地位を適切なものに位置づけることができなかった日本というのは、諸外国の例を見ましても、甚だ国際標準からも遅れ、あるいは労働力の活用、労働力商品をマーケットの中で適正にやり取りするということからも完璧に遅れてしまっていると私は思います。非常にもったいない話です。

 今急激に、例えば司法試験の世界、あるいは医師国家試験の世界では女性が進出をしてきている。客観的なテストで測られる世界では、女性がどんどんと進出をしてきている。皆様方が今、裁判所に行かれて大きい裁判所の法廷を歩かれれば、女性の裁判官がどのくらい出てきているのかがすぐ分かると思います。あるいは法律事務所に行かれて女性弁護士がどれぐらいいるのか、すぐに分かります。私などは驚天動地のような感覚に陥るくらい女性の法律家というのが出てきています。そこはそういう物差しで測られるものですから、優秀な女性はどんどんそちらにシフトしていく。ではなぜ企業の世界、労働市場でそうならないのか。あるいはキャリア官僚の世界にも少々女性はいるわけですが、それとても非常に少ない。どういうことなんだろうと思います。

 国連の統計では女性の管理職が多い先進国ほど出生率が高いという結果が出ています。保育所など子育ての環境をどうするのかというのも重要ですが、知的レベルが高い女性を大事にしない国というのは、先進国においてはたぶん出生率が低くなってくるのだろうと私は思っています。日本の女性はお子さんを育てながら働くということが出来る環境にないのではないでしょうか。だから現時点では環境が非常に劣悪だということでお子さんを生むのを諦めるか、元々出産を拒否するか、あるいは海外へ行くかという選択になっているのだろうと思います。

 皆様方が海外へ行かれるとすぐお気づきになると思いますけれども、日本の女性が海外では、ホテルであれどこであれ、大変溌剌として働いている姿をよく見掛けられると思います。今やそういうことになっていて、少子化の問題というのは、全部が全部とは申しませんけれども、女性をちゃんと位置づけられないというところから始まっている。

 私は民主党の憲法調査会の会長、衆議院の憲法調査会の会長代理というのをこの2年間やりました。憲法調査会では中山太郎会長と4年間ずっと付き合いをしたわけですが、そこで自民党の先生方あるいはわが党の若い議員の発言を聞いていまして思うのは、結局のところ日本という国は何故女性の天皇を作れないのか、もっと言えば自民党ができないのかということですが、あまり答えは定かではありません。それは男系長子でなければいけないという鸚鵡返しの呪文のような話です。直系の血族でなければ血が汚れると言った瞬間にこれは大問題ですから、そんな言い方はできません。しかしながら要するに伝統を守る、そのためには男系の長子しか天皇になってはいけないんだ、そう言っているうちに男系の長子がいなくなる可能性が出てきて、慌てふためいているわけです。

 諸外国をご覧頂ければ、もうヨーロッパの王室では女王は当然という世界になっています。それならばこれからの時代、多分この日本においては非常に古めかしい話ですけれども、皇室を存続させ象徴天皇制を維持しようとすれば、女性天皇を認めるしかないのです。おそらくこのことが日本における女性の地位とか社会における処遇を随分変えていくきっかけになるのではないかと期待はしています。しかしそういうふうに見られるかというのは問題であります。

 

対アジア政策の重視を

 それから日本が抱えているもう一つの問題はアジアのことであります。日本は明治維新政府で脱亜入欧路線をとりました。日本が独立を守り列強の中に入っていくということでやむを得ない側面というのも少々あったのかも分かりません。しかし、そのときに植えつけたアジアの人々に対する優越感とか偏見とか蔑視の感覚が抜け切れない、これが戦後もずっと続いてきたというのが、この日本の現在の相当大きい病気になっているのであります。

 先般ストラスブルグに行ってEU憲法の勉強をしてまいりました。5月にEUが15カ国から25カ国に広がりました。6月にEU憲法条約が採択されたわけであります。我々はアジアは各国の経済発展のレベルが違う、生産力の水準が違う、こんなふうに簡単に言います。しかしEU憲法を採択する25カ国は、昔のブロック経済とは違いますけども、一つのユニットを組んで国境を挟んで軍隊を置かない、軍隊などとそんな無駄なこと止めようじゃないかと、戦争をヨーロッパの地域内で起こさないということから始まったわけであります。

 一方で勿論マーケットを広げて、そこでの生産、通商を自由にし、相互にそこに住む人が発展をし、豊かになっていくという目標もあると思います。そういうEUの各々の経済状況を見てみると、今度新たに入ったエストニア、リトアニア、ラトビアのバルト三国というのは一人当たりGDPが3000〜4000ドルくらいの国です。ポーランドもそれほど高くない5000ドルくらい。あるいはハンガリーなどは少々高くなっていて、フランス、イギリス、ドイツというのは2万5,6000ドルのところまで行っています。ルクセンブルグでは4万ドルを超えていますけれども人口が多くありません。一方で日本は3万7千ドルとか8千ドルとか言われます。つまり先進国がそういう一人当たりGDPが3000ドルくらいの地域も抱えていくという発想がヨーロッパの単一市場、あるいは25カ国EU憲法条約というのを採択させる一つの原因というか心理になっているわけです。

 北朝鮮だけは暫くの間例外におかなければいけませんけれども、韓国、台湾、香港もGDP1万ドルを越えてきた地域です。中国でも例えば上海周辺とか、広州のような沿海部では1万ドルまでいっていなくても5千ドルは越えている地域です。従って日本も、人口の規模から言えば日本よりもはるかに大きい地域が存在するわけですから、そこで共同市場化ということを考える。その為にはやはり日本がアジアの中に溶け込んでいく、先ずはアジアの人々と対等に付き合いができるようになる、そういうことが我が国にとって一番重要なことだと私は思っています。その段階に日本がきているのに、小泉さんのあくまでも靖国神社に行くことに頑張り続けているというこの感覚は何なのかと思います。

 私は実は、1971年、弁護士になったときに初めて受けたのが在日韓国人の就職差別の事件でした。日本名を新井といいますが在日韓国人のパクという青年で、日立製作所の戸塚工場の途中入社の試験に合格をして、日立から戸籍謄本を出してくれと言われました。当然のことながら戸籍謄本はありません。「私には戸籍謄本はないのです、実はこういうものです」と言ったときに「それじゃあなたはダメだね」と内定を取り消された事件に取り組みました。今にして思えばこれは33年前の事件です。私の大学の法学部の後輩にもいましたけれども、大阪の高校を出、東京大学法学部を出たのですが、在日韓国人であるために就職ができなかったという時代です。勿論結婚もとんでもないという時代風潮でした。

 ところが、今やこの韓流ブームといわれ、私の妻も含めて、ヨン様なんかに世間中狂うような雰囲気が日本に発生しているのは何なのか。このヨン様ブームは必ずしも若い方からとは言えませんけれども、庶民の方から、若い世代から韓国人を差別するということは非常に少なくなった。日韓のワールドカップ以降なのか、あるいは韓国が一人当たりGDPが1万ドルを超え、OECD先進国に仲間入りをした以降なのか、その頃から明らかに、特に若い人の間ではもの凄く差別意識が少なくなっている。こだわりがなくなっていると思います。

 いわばそういうふうに国境がどんどん低くなってきているのに、政治の側だけが国境はあるんだという踏ん張り方をすることで、日本がアジアの中であらゆる必要な政策を展開できなくなっている。そのことが日本の現在の行き詰まり感の大きな原因のひとつであると見ています。

 つまり、まだまだ集権的なものを残したいということ、女性の地位を適切に位置づけられないこと、あるいはアジアに対して謙虚に対等に付き合えないということ、これらが日本の三つの宿_だと思っています。憲法論議を見ましても、私には自民党の先生方の中に若い人も含めて、まだまだ日本人は偉いんだ、昔は良かったという雰囲気があるように見えます。そういう未来志向的ではない感覚の方がいらっしゃる。それは中央のほうが地方より偉くて、地方の連中は馬鹿だから中央で管理して予算を分配しなければ何に使うか分からないという霞ヶ関の主流官庁の感覚とも全く共通している。自民党でなければできないと思い込んでいるだけで、今や裸の王様になっているのではないかと思います。

 

政権交代の必然性

 早稲田大学に田中愛治さんという計量政治学の先生がいらっしゃいます。彼の分析によると、自民党の1980年代の持ち票というのはだいたい2200万票になっていたようです。日本の有権者はほぼ1億人と考えていただければいいのですが、この1億人のうち、投票率が60%とすれば6000万票。そのうち自民党の基礎的な固い票は2200万票あったと言われます。しかし、彼がこの10数年を分析しますと、3年ごとの選挙で自民党は100万票ずつ減らしていると言うんです。

 なぜ自民党は票を減らすのか、答えは極めて簡単です。世の中は、会社の経営者も政治家も、あるいは学問の世界も全部世代交代します。我々は有権者が世代交代をしているとはあまり思わないで今まできています。しかし、実は有権者も世代交代をしている。強力な自民党支持者というのは高齢者が多いですから、その人たちがお隠れになる分、100万票ずつ3年ごとに減ってるというわけです。一方で若い人は当然のことながら有権者に算入してくるわけですが、ここではだいたい8万票ぐらい自民党の固定層が生まれている。100万対8万で、92万ずつ減っているという計算になって、公明党に票を分けたということもあるのでしょうけれども、そのことによって先般の参議院選挙の比例区では自民党の票は1600万票まで落ちてきたというのが田中先生の分析です。

 そして3500万票くらい、つまり35%くらいの無党派層というのをどう獲るのかというのがこの10年くらい、とりわけ細川内閣の政権交代が起こった93年以降はそこが闘いの天王山になっているわけです。そこにどうやってメッセージを打ち込むのか、政策を打ち込むのかということが選挙の主眼でなければならない。小泉さんがそこにうまく「汚い自民党をつぶす」というメッセージを出したために2001年の参議院選挙一回だけは勝ったというのが実態ではないかと私は思います。

 繰り返し起こってくる「政治と金」の問題というのは、実は自民党にとっては何の不思議もない、体質そのものの問題です。先程から申し上げていますように、中央集権的な配分が自民党の政治だということなので、当然配分を多くして欲しい、税金を安くして欲しいというベクトルに、業界からも地域からもプレッシャーがかかります。その為に選挙をお手伝いしますということが見返りですから、それは当然のことながらそこには腐敗が発生する。財政が厳しくなればなるほど、潜り込んで自分のものにしようとする層が出てきますから、当然プレゼント合戦も厳しくなるということです。

 結果としてあまり役に立っていないと私は思いますけれども、なけなしの金をはたく日歯連のような人が出てくる。現在では自民党支持者の中でも国民政治協会に年間1億円以上の献金ができている業界団体は単独の企業も含めてもう10団体くらいしかないのです。今やそういう状況になってきているのですけれども、日歯連はその中で、年間3億円は固定的約束分、そしてあと3億円を迂回献金というコースを3年間続けていたわけです。ついにある鹿児島のお医者さんが、多分我々と同じ世代の方だと思いますけれども、どういう使い方をしているんだという内部告発をして、インターネット上で鹿児島の歯科医が騒ぎ出したところから問題が発生しました。彼らが問題にしたのは臼田さんという会長が自分の選挙を有利にするために政治家に配るより先に大学の同窓会なんかに配りまくっているのではないかということ。そんな話として発火したのが日歯連の事件です。

 これはやはり政治と金、政策と金、あるいは政党と金の問題として私は本当に必然的な事件、構造的な事件だと思います。これからもこのまま政権交代が起こらなければある確率をもって噴出をするのではないでしょうか。ただ検察庁も段々となよなよしてきていますから、摘発出来るかどうかわかりません。他方、我々の時代みたいに大きい声で叫んだりデモしたりする人はほとんどいなくなりましたけれども、それでもやはり人間の心情としては正義を求めるというか、公正さ、フェアネスを求めるという気持ちは変わらないと思いますので、内部告発のようなものは出てくると思います。

 

真の民主主義の実現へ

 話が長くなりましたのでそろそろ締めさせていただきます。私どもは増税を国民に説得できると信じています。ということは安心しないまでも、いちおうは信頼するくらいの政府、あるいは政党が出てこない限り駄目だと思います。絶えず一方で不祥事を起こしながら、もう一方ではその資源配分の色々な縦割りの軸の周辺で美味しい思いをしている人が見える。つまり天下りとか、最近では社会保険庁の監修料とか随意契約によるリベートがあります。あるいは公共事業を巡る談合の話というのは絶えず出てきます。ですから、そういうことがきちっと掃除をされる政治とか政府が出てこない限り、このままでは国民の多くの方々は増税なんてことを言い出したら、馬鹿にするなと、いうことになるんでしょう。

 私はそのためには政権交代しかないと思っていますが、この国会、政治と金という、国民から見れば「またやっているのか」という話ですが、これも一つの日本の資源配分を巡る、まさに構造の問題であります。それから郵政改革も、三位一体の改革と称される地方財政が自立を出来るかという問題も、タックスペイヤーとして考えれば民主主義としては、フランス革命やアメリカの独立戦争以来問われた「代表なければ課税なし」という原点を思い起こし、タックスペイヤー自らが払って本来求める行政サービスあるいは国家の責任と義務というものがちゃんと果されているかどうか、それを見極める過程に入っている。ヨーロッパ政治と比べてみれば、年数からいうと民主主義の歴史もまだたった60年弱です。私はあえて民主主義も60年弱だと言っているのですけれども、まだまだこれから日本は議会制民主主義を鍛えるプロセスにあると思います。夢を失わないで、わが党の若い人材が、好き嫌いはあるかも分かりませんけれども、ブレアやクリントンが40代中盤で彗星のごとく現れて政治を仕切っていって民主主義を豊富化していったような時代が来ると、私は確信しています。