2004年7月29日

日本はどんな社会を目指すべきか
2004年参議院選挙後の日本政治の方向
(21世紀臨調「政策ビジョン懇談会」において)

 

 

〇仙谷由人(民主党政調会長) 

 私が政調会長に就任をしてからこの間、活字なり画面に民主党の存在感を示そうと思うと多少奇をてらったような話をするしかないのかということを感じることがあります。例えば先般、岡田代表のパーティーがあって、乾杯の音頭の前にあいさつをしろというので、民主党の参議院選挙での勝因は「冬のソナタ」現象である、特に女性の票がふえたのは「冬のソナタ」現象だ。私の妻もそうですが、日本の女性は老いも若きも「冬のソナタ」を熱中して見ている。これと岡田代表の持つイメージ、とりわけ我々の「まっすぐにひたむきに」というキャッチコピーがヒットした。今の時代にフィットしたということだろう。私が、「冬のソナタ」は手も握らないしキスもしない、岡田さんのイメージと同じでしょう、みたいな話をしたわけです。(Clean, Honest, Beautiful)

 

 日本の現状と「仕方がない症候群」

 今の日本人の古きよき時代への憧憬の部分もあるのかもしれませんけれども、だれもが本気になれなくなっているということを敏感に国民は感じ取っているのでしょう。

 今の時代風潮、特に心象風景を考えますと、政治の場において(私自身が責めを負う立場にもあるわけですが)日本人、あるいは政治家、経営者、労働組合の指導的立場にある方も含めて皆危機感をお持ちなのだろうけれど、表に出てくる危機感が非常に弱い、萎えていると感じます。私自身も含めてです。夜寝るときや議論をしているときには危機感がみずからの中に大変醸成されてくるわけですが、いざ日常生活の中に帰ると、もうちょっともつだろう、何とかなるだろう、という雰囲気が非常に強い。

 日本がまあまあ大破局に至らずに過ごせている。そして自分の思いや考え方と相当違っても“しかたがない症候群”、まあ、しかたないな、というのでこの数年通り過ぎていっている。いま金融、経済、財政から見ると大変危機的な状況にあると思うのです。去年の夏ころには鉄鋼、造船、建設、機械という業種を中心にして、いわゆる重厚長大産業は相当の整理再編成が行われなければもたないことが明らかだったわけです。中国の異常なバブル、鉄鉱石の運賃が1年間で8倍になるというバブルが起こって、そのことで重厚長大産業が活況を呈してきた。そこでそれに関連する業種も業績回復した。こんな事態で何とかなるという安心感も出てきているのでしょう。

 しかし、物事の本質的なことはほとんど解決されないままだ。つまり小泉さんの構造改革が経済社会の構造をどう変えていこうとするのか未だに明確にならない。私は、先進国の成熟経済は基本的にはサービス化された産業が中心にならざるを得ないと思っています。サービス産業が中心の経済社会に適応する仕組みに変えられていっているのか、教育にしてもそれは子育てから始まるわけですが、そういう仕組みに変えられているのかということをこの4,5年考えているわけですが、どうもそういうことにはなっていないのではないか。早くそのことに手をつけないと日本はますます取り残されていってしまうのではないか、そんな思いを持っています。そこがもうひとつ越えられない壁として行きつ戻りつしながら、徐々に国民の感性、考え方、心の持ち方もずいぶん萎えて“しかたがない症候群”の中で停滞しているのではないかと思います。

 

 政治の透明度を高める

 岡田さんが代表になったときに日産の復活の例を出しました。日産は今までトヨタを対抗する相手にし過ぎた。ゴーンさんが「これからはトヨタを意識しないで国民を、つまりユーザー、消費者を意識して会社経営をするのだ」と言われた。岡田代表自身も自民党をそれほど意識しないで、永田町的に発想するのではなくて国民を相手に考えるのだと言ったわけであります。私は、うん、なかなかだなあと。以前、菅代表も「党内民主主義をやるとますます党内の意思決定は偏頗なものになる。だから国民の声を聞こう」と言っていたわけですが、そのとおり実行できたかどうかはまた別です。岡田さんがゴーンさんの例を引いてそういう訴えかけをされた。

 岡田代表の持つ我々凡人にはついていきがたい「原理主義=ルールを守っていくことにかけては人後に落ちないというすごいところ」は、ゴーンさんやその他の会社経営をうまくされている人の言っていることなどから見ると、結局透明度を高め、情報公開をして、決めたことを断固として遂行していくことだろうと私は理解をしています。そのことが、今度の年金問題でも事実を明らかにせず、合計特殊出生率を隠したまま「100年安心プラン」といった看板を掲げて年金審議を強行突破した、このことに対する怒りが参議院選挙でああいう結果となったと考えています。したがって、あらゆる領域でもそうですが、データ、実情を隠したりぼやかしながらものごとを進めていく政治のやり方はいよいよ許されない時代に入ってきたと私も認識しています。これはこれで大変なことですけれども、きわめて良いこと、すばらしいことだとも思っております。

 

 自民党政治の没落−「カネの切れ目が縁の切れ目」

 そういう中で自民党の政治はいかにも古い。私の徳島の選挙区から見る限り、投票行動がいよいよ「カネの切れ目が縁の切れ目」になってきたと思います。「カネの切れ目が縁の切れ目」の一つは、もちろん業界です。とりわけ建設業を中心とする業界は、公共事業の減少に大きな悲鳴を上げているわけです。徳島は地元のゼネコンのナンバーワンとナンバーツーが昨年民事再生法に駆け込んだ。この二つの徳島の名門、伝統産業である地方のゼネコンは、何とか再建再生することになるわけですが、その周辺にいた業者は、顔はともかく、気持ちの中では怨嗟の声であります。彼らから言ってくるのは、「民事再生法ほど悪い法律はない。早く廃止すべきだ」という訴えです。つまり経営者が責任をとらないで、債権を95%もカットするようなことが行われていいのかという怨嗟の声、うらみ節が聞こえてくるというのが地方経済の実情です。彼らはどんな選挙でも大変シラケています。こういう機にもぐり込んで一つでも多く仕事を取ろうという観点で選挙のお手伝いをする業者もいないわけではないが、概して徳島でも今度の参議院選挙では建設業を中心とする業者の活躍は様変わりをいたしました。

 「カネの切れ目が縁の切れ目」のもう一つは、地方の首長さんや市議会、町議会の議員さんたちの行動です。この方たちはもちろん自民党の支持者、強力な支持基盤でありましたが、私と顔を合わすと必ず「小泉さんを早くやめさせてくれ」と訴えかけられます。つまり三位一体の改革で昨年の補助金の削減、そして税源の移譲が非常に中途半端な格好で行われて、そしてこの十数年とってきた景気経済対策で地方の借金が非常にふえており、この裏保証だったのか裏約束だったのか知りませんが、交付税でまかなうという、それを信じて景気経済対策をやってきた、これは建設業界の要望でもあったし、そのことによって地方の首長さんや議員さんにとってみれば、彼らの手柄・業績にもなった話ですから、それを推進してきたわけですが、いよいよ財政調整基金という積立金も取り崩して、もう予算が組めない一歩手前まで来たというのが今年度の予算編成における自治体の状況です。彼らは小泉さんをやめさせて、三位一体の分権改革的なことをやめてもらえば、つまり自民党の別の総裁・総理大臣をつくれば、以前のように公共事業中心の地方活性化策のようなものがもう一遍返ってくるのではないかという幻想を持っているのです。これは、自民党の国会議員が地方に行ってどういう演説をしているかを見ていただければわかることです。いまだに言っていることは、道をつけたり会館をつくったり、ここにこういう活性化策を持ってくるという話です。つまり中央からお金を持ってくる、そして地方経済を活性化させるという、中央が起点になった分配政治をまだ続けることができるんだ、そのことによって地方の現在の豊かさを維持することができる。こういう論理がいまだに跳梁跋扈、蔓延をしております。

 実際は、小泉さんをだれにかえようとも、財政問題は日本のここ十数年の矛盾の結節点であり、財政の現状はその矛盾の集約だと言ってもいい。だれがやっても、この82兆円の歳出入、42〜43兆円の税収しかないという構造をまともに考えるのであれば、何年かかけて60兆円のところでつじつまを合わせるかという話になるわけであります。もしそこまでいかないでも基礎的な収支を、現時点は約19兆円か20兆円だったと思いますが、このプライマリー・バランスの赤字をどうやって解消させるのかということを考えない限り、これはどこかでお手上げの状態になってしまうことは間違いない。そこのところを、もし民主党が政権交代しても、この財政の問題をこれだけの宿題と赤字を背負った段階での経済財政政策、あるいはいろいろ政策の運用をしていかざるを得ないという大変なマイナスのところからのスタートになるのですから、そこは大変苦しいわけです。その苦しいということ、それから異常な財政・金融政策のもとに今あるということがこの数年のうちに忘れられている。忘れられているから、小泉さんをやめさせれば何とかなるという地方の政治に携わっている方々の意見も出てくる。

 私はそういう人たちに、「地方の自治体の懐が乏しい以上に中央政府の懐は大変ですよ、そんな甘いものじゃありませんよ」ということと同時に、小泉さんの構造改革、私から見れば中途半端な改革ですから改革とも言えないと言っているのですが、「もしこれですらそんなにあなた方が反対するのであれば、自民党の国会議員さん、あるいは自民党推薦を受けた首長さんの応援に後援会何々支部の支部長という旗を振って歩くのはやめられたらどうですか」と。「民主党を応援してくれとまでは言わないけれども、少なくとも中立になられたらどうですか、是々非々で政策の判断をするように行動を変えていただかないと、反小泉といっている候補者だからいいんだというような理屈でその候補者を応援すれば、国会に来ればその人たちは、小泉構造改革の担い手として、与党の一員としてふるまう。彼らは別にそんなに大声で東京で反対しているわけではないんですよ、」ということを申し上げるのです。

 とりわけ参議院議員の場合は青木さんという大ボスのもとで、全員一致なのか、ものが言えないのか、意気地がないのか、わかりませんけれども、声が出てきません。自民党の参議院議員はどこに個性があるのか、政治家としての見識があるのか、まったくわからない。すべて青木さんのところで集約されて、青木さんが小泉さんと手を組んで政局を乗り切っていくのがこの2年、3年です。これからはもっとその傾向が強くなるわけでありますから、そういうことを理解して選挙に臨んでいただかなければ困るということを地方議員や首長さんにお話をしてきました。

 応援しても別に金を持って帰ってくれるわけでもないし、三位一体の構造改革も(我々から見れば単なる財務省と総務省の綱の引き合いみたいな部分が多いが)これがなくなるわけでもないな、ちょっと寝ようか、自民党の候補者に力を入れるのを半分にしようか、3分の1にしようか、こんなことが今度の選挙で行われたのではないかと思っております。

 

 社会民主主義の位置付けと財政問題

 もう一つは、いよいよ日本が、社会民主党にしても共産党にしても、社会民主主義の政策を本格的に掲げることができるのかどうかということに、彼らの生存をかけることになる。私は社会党におりましたから肌でわかるわけですが、私が1年生のとき社会党内で、社会民主主義は資本主義の最も民主主義的な形態なのか、社会主義の最も民主主義的な形態を言うのか、という大論争がありました。当時は消費税を廃止するという政策課題を掲げて89年、90年の選挙を社会党がやって、成果を得たわけです。私はそのときに、廃止と言うけれども、もしこれで政権を取ったらどうやって税収を賄うのか。これはたぶん社会党中央に政権を取ったら尊皇攘夷から尊皇開国に政策をクルリと転換して国民の前でも平然とした顔で政策を遂行できる懐の深いエラい政治家がいるのだろうと思って1回目の選挙をして出てきましたら、消費税を廃止することが自己目的的に、それ以外にはない、消費税を廃止することは絶対的な価値があるんだという議論がまかり通っていったことにびっくりいたしました。

 その時点では、経済・金融・財政の勉強をほとんどしてなくて国会に上がってきたわけです。3カ月たち半年たちいろいろ勉強してみましたら、これはえらいことになる。そしてヨーロッパの社会民主主義をちょっと勉強しますと、社会保障目的のための付加価値税こそが国民に水平的な平等と、その財源をもって社会保障制度を確立させるということになっている。北欧あるいは大陸ヨーロッパは、保守党が政権を担おうが社会民主党が政権を担おうが、ある種の高水準の付加価値税を取ってそれを財源にしていることは間違いがない。いよいよ消費税をなしにして累進課税をどんどんやればいいんだといった話ではないなと考えておりまして、ある日の社会党大会でその種の発言をしました。「消費税を相当の率で取らない社会民主主義をやっている国がどこにあるんだ、消費税廃止などまったく間違った方針である」という大演説をやってみましたら、非難ごうごう、ヤジの嵐になりました。立ち往生はしませんでしたが、そういうことがありました。

 今の共産党の人たちや社会民主党の人たちの話を聞いていますと、すべて最後は国庫が負担すべきだとおっしゃる。国庫が負担すべきだというのは言い方としてその限りではそれほど間違っていないわけですが、国庫というのは国民の税金です。国民の税金で負担すべきだということは、先ほど申し上げたようなスケールの財政の破綻状況であるわけですから、増税をするということを意味しない限り論理的なつじつまが合わないわけですが、そのことを言えない、言わない。私は増税も使途が明確に、情報開示のもとに行われるのであれば、国民もどこかでわかってくれるという気持ちがございます。

 透明度の高い政治を構築しなければならないのです。今度は年金保険料をめぐるある種の寄生虫が社会保険庁の中やその周辺にいることがまたまた明らかになってきました。労働保険料のもとに労働保険族のような寄生虫がいる。あるいは道路公団の周辺にそれがいる。また国土交通省の周辺にいる。どこにでも大きいところは大量に、小さいところは細々とながら、利権とそこに密着した寄生虫がいる。それを駆除しませんと、国民はたぶん負担の増大は納得しないだろうと思います。

 岡田代表はそのことを毅然としてやるのだと。あの人はお中元だろうがお歳暮であろうが全部送り返す。この間の第1回の党役員会で何をテーマにするのかと思ったら、代表の交際費を8月1日から全面公開すると言うんです。岡田さんはそういう方でして、金の使い道について透明度を上げた。

そこにさわやかなものを感じていただける政治がつくれるとすれば、それは相当の負担を国民にお願いしても何とかなるのではないかという気持ちを持っております。

 そのことを今度の参議院選挙政策で年金目的消費税をどう思うかということで私どもは申し上げました。私などはこれは3%、しかし状況によっては4%も5%もあるという話をテレビなどでもしてみたわけですが、それほどの非難を浴びなかったところから見ますと、負担自身は問題でないことはないわけですが、要するに使い道とか、使われるときのプロセス、そこがどうクリーンになるかが問題とされているのだろう、こんなことを感じながら、今度の選挙を戦ってきたわけであります。

 選挙の結果、いよいよこの構造、このトレンドは変わらないと思います。田中愛治早稲田大学教授の選挙分析によりますと、民主党がいいとか悪いとかでなくて、世代的な投票行動、地域的投票行動、あるいは業種的投票行動、いろいろ組み合わせますと自民党の固定的支持層は2000万票だということです。選挙のたびごとに大体100万票減らしている。新規獲得票は8万票であると。100万と8万の間は非常に大きいという話を聞きました。

 自民党は衆議院の小選挙区と参議院の選挙区は、この間公明党の大変大きな協力でかろうじて維持しているわけですが、比例区でその分、票を分け与えている。そのことがこの2回の選挙に出てきている。これは皆さん方もお感じになると思いますし、私もつくづく感じます。選挙の足腰が民主党は強いかと言われると、それほど大したことはない。しかし自民党さんも大変足腰は弱っている。業界関係の組織がボロボロですし、もう一つは、我々も心しなければいけないが、どこでけじめをつけて若い方々に後継のバトンを渡すかということを絶えず考えなければいけない。後援会組織をつくっても、そこは高齢化して、若い方が出てきて若い人を集めてかなりのエネルギーで走り回られますと、必ず負ける。そういうトレンドにこの間の選挙はなってきたのではないか。九州の今度の参議院の選挙は明らかにそういう感じがしました。

 問題はそういうところにもあるわけで、候補者の支持者はどうしても高齢化をする。そしてさらに自民党の場合には、若い志のある方をリクルートすることを安倍晋三幹事長が一生懸命声を枯らして言っていますが、あの方がまず一番にやめない限り、自民党はたぶんそのことができない。二世や世襲議員をやめる。世襲議員も志のある立候補希望者と同じレベルで、特にお父さんやおじいちゃんがつくってきた後援会がないという前提で競争するという仕組みが導入されない限り、若い人は絶対に自民党で手を挙げようとしないのではないかと思います。

 きょうも新聞に出ていました愛知の吉田さんという逮捕された自民党の議員が、200万ずつ県会議員に配ったということで県会議員の捜査も始まっておりますが、これは我々が知ったり見たりしている限りでは地方の政治では不思議でも何でもないことであります。地方議員に選挙で動いてもらおうというときには、ごあいさつに行かなければなりません。ごあいさつというのは名刺がわりに、金一封なのか二封なのか一束なのかわかりませんが、これを渡さない限りあいさつしたことにならないというのは常識であります。だから選挙にはお金がいるという話になっているわけです。この種のことは、たぶん今の若い世代、特に40代から下、あるいは50代から下の人には懐ぐあいからしても、あるいはそういう不合理な話は耐えられないことだ。特に都市部の方で、やはり自民党だと思っても、こういう風習、構造がある限りなかなか出られないことになるのだろうと思います。そんなことで民主党がどこまでしっかりするかが重要なわけですが、自民党型政治は終わらざるを得ないとますます意を強くしているわけです。

 

 労働市場政策が不在

 そこで私はこの数年考えてまいりましたのは、産業構造がこれだけ転換・変化するときに、日本はそれに適応する仕組みをつくれているのだろうか。そんな目でいろいろなことを見てみますと、「厚生労働省」といった役所のくくり方をしている先進国があるのだろうか。私はこの間厚生労働省という役所を見て、これは大河内一男的社会政策から一歩も出ていないな、特に労働のほうは隅谷三喜男さんの労働経済学、ぐらいを基本にした政策コンセプトを持たないといけないのではないか。もっと言えばヨーロッパ型の教育雇用省に再編成をする、あるいは産業労働省にでもコンセプトを変える。もちろん政策の中身も変わってくると思いますが、そういうことだろうと思う。

 それから今度のショッキングな合計特殊出生率のことで言えば、これはやはり「子ども家庭省」、当然今文部科学省がやっていることと厚生労働省がやっていることが中心になるわけでありますが、救民的社会政策というか、措置費で賄われる保護的・救済的な政策ではなくて、自立した若い家庭が子どもをつくって育てていく、女性が働きながら育てることができる、これは小児医療の世界から始まり、保育や女性の職場の中での位置づけの問題になるわけですが、それを一元的に政策立案をして、なおかつ執行のできる機能的な再編成を、中央の省庁も、そして自治体ではそれを分権的に行うという仕組みをつくらない限り、この国はいかんともしがたい。予算は使っているがどういう効果があらわれるのかわからないということになるのだろうと思います。

 ここ数年、失業問題が政治課題になって、総理大臣官房のもとに緊急雇用対策本部とか何々雇用対策本部が3回ぐらいつくられております。そこで絵が描かれております。そこで予算がついた場合、予算を執行するのは各省庁持ち帰りとなっているはずであります。つまり予算を執行する事務局の本部はありません。本部は一回ぐらい会議を開いて基本的な事柄を決めると、あとの具体的政策は厚生労働省が持ち帰り、厚生労働省が持ち帰ると、今度は能力開発局と職業安定局が別々にまた政策を考え、執行する。執行するというのは、旧来の特殊法人、社団法人にお金を落として何かやらせるということですから、結局何のことはない、どこかに緊急に用意した2000億とか5000億の予算が消えていくことになる。政策の方向性として労働市場政策がとられたり、情報化社会にふさわしいようなプロフェッショナルを養成するための環境整備でもいいわけでありますが、そこに集中した資源配分、投資が行われることになってきていないと私は思っております。

 

 サービス化、情報化社会に適応する労働市場政策

 話が飛んで恐縮ですが、私は2年半前に胃ガンを患い胃の全摘出を受けて、今でも国立がんセンターに4カ月に一度は通っております。皆さん方でこの質問に答えられる人があったらものすごい医療に詳しい人でありますが、4カ月に一遍行って、血液検査とかCTの検査を受けます。その結果を担当のお医者さんから聞く機会、要するにカウンセリングの機会を別の時間につくってもらいます。予約して1週間か10日後にまた出かけていって、先生と話をして帰ってくるわけです。検査ではCTをやると2万何千円とか血液検査は2500円とか、そういうのが診療報酬の自己負担分で取られるわけです。次に国立がんセンターの担当医と20分データをもとにして話すと、いくら私が窓口で払って帰るかご存じの方、いらっしゃいますか。大体どのぐらいだと思われますか。

[「2000円ぐらい」という声あり]

非常に正常な感覚です。実は200円です。カウンセリングだけは自己負担分が200円です。3割負担で200円とすると、約650円とか700円になるわけです。情報とか医師の持っている経験、あるいは画像判断の技量等々のプロフェッショナルとしての技術的な部分がいかに安いか。私の知り合いの弁護士は、相談だけで、「おれのコンサルティングを受けてこのぐらいおまえは払う義務があるべきだ」。普通こう言っても日本の社会ではなかなか受け付けられないのじゃないか。それをもっともらしく管理して、鑑定書とか内容証明とか、一番わかりやすいのは訴状という訴えを提起するわけですが、そのときにはお金を取れるけれども、相談だけだと同じ事柄で、その部分によって企業や個人が「ああ、いい先生の話を聞いた。これで心配ない、安心した」だけではお金にならないという問題であります。

 私はこの間そういう諸点も考えて、日本が情報化社会、情報が価値を持つ時代になったというが、実は情報が価値を持つようなシステムをつくることができていない。ましてや、そういう人材を育てる、情報をちゃんとつくれる、あるいは情報を作ることを付加価値として提供できる、そういう教育がきわめて遅れたのではないか。あるいはそういう世の中になったとことを常識にするようなことがきわめて遅れているのではないかという実感がしています。

 ところが一方では、これはメディアの世界を見ていただいたらわかると思いますが、テレビのバラエティー番組だって、世の中に対して意味があるからスポンサーがつき、あの種の番組が売れているということになるわけでしょう。つまり情報化社会というのはそういうことで、その中で社会的な安定性のためにも、それから経済の活性化のためにも、そういうサービス化された社会をどう支えるのか、どのような人材が必要なのかという観点からの教育政策、あるいは労働政策がほとんど行われてこなかったのではないかというのが私のこの間の問題意識です。ここは早くそういう観点からの人材養成に注力するような政策展開ができる体制をつくらなければならないと思っております。

 

 女性の位置づけ(処遇)の確立と少子化対応政策

 女性に対する施策もまことにそういう問題だと思っています。私は20歳代の娘が2人おりまして、この子たちはほとんど日本に居つくつもりがない。隙あらば日本を逃げ出して、自由な青空のもとで外国で生活したい。今や「適齢期」などという若い女性にとってうっとうしいことはほとんどなくなったわけですが、能力もない男がのさばった日本の社会がうっとうしくてしょうがないという感じを彼女たちは持っているようです。その世代はちょっとやる気があれば生活レベルの語学には不自由しないし、どうも日本よりもヨーロッパなりアメリカなりのほうが住みやすい。あるいは自分の能力が発揮できるのではないか。自分の仕事が適正に評価されて会社なり社会なりで位置づけられるのではないか、そんなふうに思っているようです。先進国、あるいは中進国も含めて、女性管理職が多い国ほど出生率が高いという国連の2、3年前の調査結果が出ています。どうも日本はそういう観点で物事を考えてきていないというのが大問題だ。出生率の低下というのは、数字自体もスピード自体も大変ショッキングな事態で、これは年金の問題だけではなくて、日本の社会そのものの縮みの原因になる。ここはもっと自由に、別に一カ所に住まなくてもいいけれども、やはり日本人は日本が本籍、それでいいんだということを納得させられるような仕組みがつくられなければならないと思います。

 出生率の問題をもう少しクリアにしますと、東京の0.9987というのが私には一番ショックでした。1970年代は30年ぐらいかけて全国平均が東京の出生率に追いついてきた。最近は10年ぐらいで追いつく傾向になっております。そうだとすると、1.29の全国平均の合計特殊出生率は、10年後には1を割る。10年後にもしも全国平均が1を割ることになれば、これはいよいよ2043年に労働者人口と65歳以上人口が約3700万人か3800万人でクロスするということになっているのですが、15歳から64歳までの現役人口の就労率が68%と考えますと、その労働力人口と65歳以上人口と、クロスすることになるのだろう。それはいろいろな社会保障のシステムから考えてみると、頑張って75まで働ける人は働いても、しかし、それは活力が乏しい社会になってくるだろうなと思います。出生率の問題というのはもちろん年金を支える側と受け取り側の構造問題であると同時に、非常に深刻な問題で、結婚、夫婦、子どもを産んで育てる、このことが国のためというよりも人間にとってどう重要なのかということをあらためて論理構築をし、そのための政策展開をすることが必要なのだろうと思って、ここは今度の年金論議と選挙で日本の構造的な矛盾の一つが提示されたと思っているところであります。

 

 アジアとの共生、共存、共栄

 先ほどの「冬のソナタ」現象の論点から見ますと、いよいよアジア・中国・韓国との関係を我々が本格的に覚悟を決めて考える必要がある。結論的に言うと、日韓連携のもとで東アジアの共同市場なり共同社会をつくる。脱亜入米、脱亜入欧政策から、入亜入米、入亜入欧政策というか、そういう政策にここは覚悟を決めて入っていかなければ、いよいよアジアで孤児になってしまう。昨日も日本の大学で研究している上海社会科学研究所に籍を置いている中国の方と電話で話をしました。中国の教育も問題なんだと認識されています。特に重慶での今度のサッカー試合、君が代吹奏から始まってものすごいブーイングの中で日本の選手は試合をしている。なんでこんなに日本人は中国人に嫌われるようになったのかわからないというぐらい、今の時期は反発が強い。これは中国のインターネットの、日本で言えば2チャンネルみたいなものなのでしょう。そういうところでも、中国的排外主義的ナショナリズムの対象に日本がなっているようです。

 ただ、中国のある種のやり過ぎた反日教育もあり、しかし、韓国も考えてみれば数年前まではやり過ぎた反日教育、抗日教育が行われていたことは間違いないわけですが、日韓ワールドカップ以降、今や韓国の人々に対して、これだけ女性を中心に「ヨン様ブーム」か「冬ソナブーム」か知らないけれども起こってくる。文化交流が行われると、10年前に想像できないことが今起こっているわけで、漢字文化なのか儒教的な精神構造の背景なのか、いずれにしても中国人も韓国人もそれほど一神教ではございませんから、そういう中でこの種の反日的な雰囲気を払拭して、必ず日中と日韓の共同市場や東アジアの共同体になっていくと思います。この中国の学者も、「どうもこれは一遍政権交代でもないとそういうふうに切り変わらないかもしれませんね」と言っていました。

 

 分権型資源配分システムの構築

 私は先般ある改革派の知事と会いましたら、「分権の問題もどうも仙谷さん、これは政権交代が一遍起こるか、マーケットのクラッシュでも起こらないと、本気で税財源の譲与ができるとは思えませんね」と言い出しました。そう考えますと、先ほど申し上げたアジアの問題、女性の問題、分権の問題、情報化、サービス化社会に対する労働市場政策、雇用、教育問題というのも、結局のところ自民党型政治スタイルと霞が関の縦割り構造があいまって、どう押しても引いても動かない。ここはその構造を壊して、新たな機能的な行政改革、執行体制の再編成を含むプログラムを持った政権ができない限り、日本の未来への出口は見えてこないのだろう、そんなふうに今考えています。選挙が2年、3年ないのではないかという話ですから、中期的な戦略的プログラムをつくる。そしてそれを本気で実行できる人々を用意する。もちろん皆様方をはじめとする知恵を貸していただくようなシンクタンクを準備することがいよいよ必要になってきたということです。

 

 憲法論争の核心点

 憲法について、きょうお配りした民主党の「中間報告」を作りました。これは本来ならば「次の内閣」で議論してオーソライズするというのが岡田代表の希望でしたが、選挙で間に合わなかったので、憲法調査会長の責任で配布してほしいということで発表したものです。これから「中間報告」をもとに党内で議論をすることになります。

 ただ、ごらんいただくとわかりますように、意識したのは、これから21世紀の先進国、成熟社会、そういう国家の一つとしてこれから前に進む、そのための憲法を考えてみようというイメージでつくったわけであります。

 そういう意味で自民党の憲法に関する論点整理を見ますと、非常に懐古主義的で古いと思います。あれで自民党がまとまるとは思いません。それがたぶんきのうの岡田さんのアメリカでの発言になって、新聞に報道されておりまして、むしろ憲法問題はわが民主党のほうがまとまりがいいんだ、自民党のほうはたぶんバラバラになるだろうと、そんな気分で岡田さんも話したのだと思います。

 憲法問題は実は日本の国のかたちを議論しているのです。新しいガバナンス、新しい人権の尊重、これは特にヨーロッパがEU憲法ということで各地域・各国に普遍化しようとしているわけであります。この動きを見ておりますと、同じ価値基準でルールを設定することと、設定したルールをどう守っていくか、つまり21世紀型「法の支配」をどうつくるのかという観点から、EUの議会なり委員会なりが難しい議論を重ねているようです。こういうレベルから見ますと、日本はまだ9条の改正がどうのとか、私に言わせれば非常にドメスティックな一国的な議論をしている感じです。

 自由とか民主主義とか人権とか我々は言ってきたわけですが、この価値をアジアの共通の価値にする。そして経済活動や我々の自由な自己実現がより安全で安定して図られる仕組みをアジアの中でどうつくっていくかという観点から考えていかなければ意味がないと私は思っております。

 そういうことを保障する、包含できるような憲法体系を考えてみるというのが今の時代に必要で、そういう意味でこの憲法の「中間報告」をつくったところです。

 岡田代表がアメリカで言われた真意は、前に進む新しい21世紀型の国のかたちを考える、わが党は若い議員が多いので、旧来型の議論ではなく未来志向で考えればまとまっていけるというものだと思います。岡田さんが当選年次の序列で10番目ぐらい、私が30番目ぐらいです。私も岡田さんも90年当選組で、当選回数と年齢からいうと、我々の上には先輩というか気にしなければいけないお年を召されたベテラン議員は10人ぐらいしかいないというのがこの民主党です。あとは1年生が大変多いし、2年生も多い。70%以上が3期生以下です。議員集団としては問題提起をして議論を大いにすれば、それほどガタガタになることはない。「バラバラの民主党」という、一回覚えたらアホの一つ覚えのようにお書きになるメディアの感覚とは違って、意外と憲法問題や重要な政策では分岐なく進んでいけると思っています。

 選挙を終わって今感じていることをお話しました。

 

質 疑

 地方分権と道州制

○ 問い 中央集権あるいは中央の利益誘導型の政治システムを破壊するということと、道州制という新たな統治構造の再編の方法とは密接不離なもののようにも思えるが、民主党内ではそれがどのように受け取られ議論されているのか。

〇仙谷 連邦型とか道州型という統治の構造、それをどう次のレベルで想定するのかというのは、財政の問題とも絡んで大変悩ましい問題です。現にこれは中央政府の役割と地方政府の役割というものをもう少し整理をしなければ、答えは出てこないのだろうと私自身思っています。一方の側には300自治体と中央政府、これはこれで非常にまともな議論だと思いますが、これが根強くございます。そのほか、補完性の原理に基づく分権自治、あるいはそこに課税自主権を完全に近い格好で持たせた地方政府というイメージで、すっきりして効率的でいいのではないか、住民にとっても近い政府で公共サービスをつくっていくということからいえば、そういう形のほうがいいのではないかという魅力的な説もあり、私もそうかなと思ったりしています。

 他方、そうは言うものの、これだけ交通・情報・通信手段が広がった時代において、300自治体になってきますと、今の人口でいうと40万ですから、それだけでできるのか、やはり中国、四国、九州とか今のブロックぐらいをガバナンスする広域的な中央政府が必要なのではないかという根強い説もございます。

 ただ、道州制という場合には、たぶん一つは、司法の領域は国に任せるという前提になると思います。問題は議会と地方政府というものをどうするのか。そのときにはたぶん参議院のあり方論とも絡んでいるわけで、ドイツ型の州代表を上院議員にちゃんと張りつける。衆議院と参議院の役割を完全に分けてしまうという、二院制問題ともこれは絡んでいる問題でもあります。そこのところは日本のガバナンスのイメージとして何がいいのかという見きわめがまだついてきていないところだと思います。

 もう一つの要素は、集中・過疎、地域間格差みたいな話がそこにかぶって出てくる。私は地元でもいろいろなところに行って、ヨーロッパ各国と比べれば、四国という400万人強が住んでいる島、これでも十分一国としてやっていけるのじゃないか。中央から予算の配分で、大体中国の山陰側と四国あたりだと、行政投資実績から見ると、全国平均を100とすれば徳島が150ぐらい、高知が160,島根が179とか、神奈川が65とか、1人当たりからいうと都市部のサラリーマンから吸い上げたものを島根が一番で、二番が高知みたいなことで振り分けていた。これを口をあけて待っていても、持続可能性のある経済社会なり市民社会はつくれていかないことは間違いない、そういう結果がほぼ出ていると思います。ここは地域が頑張ってやっていかなければいけない。

 そういうことからいうと、私はJリーグのサッカーはなかなかいい発想でやってきたと思っています。道州制問題も必ずしも敵対的対立問題ではなくて、日本人のいろいろな要素を加味し、明治以来なれ親しんできたこのガバナンスのイメージの貧困を、どうこれから肉づけしていくのかという方が重要な問題だろう。道州にした場合の州あるいは道のイメージはもうひとつわいてこないけれども、しかし、300自治体だけでうまくいく感じもまだしないというのが率直なところです。

 

 女性が活躍する民主党へ

○問い 今回の選挙で民主党に投票したであろうと考えられる20代から30代の女性の反応を考えると、先ほど言われた岡田さんの個性はいい材料になったと思いますが、女性たちが関心を持っているのはそれ以上のことで、例えば今まで民主党は女性に非常に人気がなかった。それはなぜかというと、すべての発想が男性中心だ。これは岡田さんがはっきりと、これからは話し合って考えていかなければいけないとおっしゃったために、それだったら民主党にちょっとかけてみようかな、ということから投票したようです。その期待にもし応え得なかったら、その反動はとても大きいものになる。当選された女性議員の皆さん方が、少子化とか福祉とか環境が女性の分野だということに特化するのではなくて、民主党の政策決定の場でどのような役割を果たし活動していくかということを明確に情報を開示していくことが大切だと思います。その辺の認識について伺いたい。

〇仙谷 昨秋の衆議院選挙で私の選挙区の隣の高井美穂さんが、比例復活で議席を取ることができました。徳島2区という、まあ鳴門市はあるけれども、農村及び山村地帯で、31歳の女性が、27歳のときに決意して、28歳で衆議院の選挙に突入して、落選をして、県の職員と結婚をして、幼い子を抱えながら昨年の選挙をして勝った。私が彼女を選挙に出したときに、「そんな小娘を選挙に出してどうするんだ。徳島の人間をなめとるのか」、こういう男社会からの反応でございました。

 私は、いや、そんなことはない、もう新しい時代が来ているという思いもあって、高井さんを自分の隣の選挙区で出しながら去年の選挙をしたわけです。名もなく貧しく美しく、ジバン・カンバン・カバンのない女性が、徳島2区という中山間地、大いなる「田舎」で当選できた。あるのは本人の志と才覚、キラキラ輝く部分。このことが徳島の政治文化の大革命である。その若い女性を国会に送った徳島の皆さん方はすばらしいと、こういう演説をしながら歩いています。

 今度の選挙は、少子化問題にも端的にあらわれているように、「女性のために」ではなくて、女性と男性がこの社会をつくる、あらためてそのための政策あるいはシステムがつくられなければならないが、そこに我々男ではわからないものも必要だ。だから女性が必要で、そこをまったくネグレクトしたのが、日本に今ツケというか、“とが”となってあらわれている。そうした中での少子化問題なんだと私は言ってきました。高井さんに私は「あなたの世代の女性が議席を持って何をするのかは非常に重要だ」。私はこの間マドンナブームも一緒に過ごしたわけですが、ともすれば女性の感覚、台所の感覚、ものの言い方はそうなるわけです。そのこと自身は政治には非常に重要だと思います。しかし、台所の感覚だけ、あるいはある種の女性の井戸端会議での感覚だけになってしまうと、これは政策になりにくい。高井さんに申し上げているのは、難しいかもしれないけれども、マクロ経済的な状況が今日本でどうなっているのか、あるいは司法改革、司法の持つ役割といったことも勉強して、台所の感覚とか旧来言われていた女性の感覚が、普遍的な政策として社会構造をどう変えていったらいいのかという政策に表現できるようにしてほしい。そして提案できるような議論と勉強をしてほしい。しかし、直接的な感性も間違っていないと思うので、そこも大事にしてほしい、というふうに申し上げてあります。

 やっぱりあの頃のマドンナブームの限界を抜け出て、もう一段グレードアップしたところの、しかし市民の一人であるという感覚を持った女性の議員集団を何人つくることができるのかが、大きな要素だろうと思っています。そういう発想でこれから議論をし、あるいは女性の候補者たらんとする人を探し、つくっていくことだろうと思っています。

 

 公明党との協力について

○問い 自民党に対する支持率がだんだん低下する中で、自民党の公明党に対する依存度が高まってくると思いますが、公明党の位置づけ・役割について仙谷さんのご意見をききたい。年金問題あるいは憲法問題に関しては公明党の立場と民主党の一部と共通点があるのではないかと言われているが、今後の公明党の役割、特に民主党と協力する可能性があるかどうかを含めて教えていただきたい。

〇仙谷 きわめて個人的な見解でありますが、短期的な政策課題について協力するとか、共同提案をし一緒に実現をしようとすることは、相当程度あると思います。ただ、政権を一緒につくり得るか。ある局面で必要になってくるのかもわかりませんが、それを「路線」にするということはないと私は見ています。

 私のイメージから言うと、先ほどの中央と地方との関係、自立・分権・自治のような市民社会と地方政府とそして中央政府の役割というのは、関連はあるが大きくそこで境界があるようなガバナンスの構造を考えるというイメージです。そういうふうに考えたときには、どうも公明党、共産党の持つ政党論、中央集権的な体質、あるいは(共産党はそれがなくなってだんだん足腰まで弱ってきていると思いますけれども)唯一中央集権的な決定権者がいて、その意思が一挙に下部まで浸透するという、うらやましいと言えばうらやましいけれども、気持ち悪いと言えば気持ち悪いこの意識と政治の構造は、なかなか我々とは最終的にはなじまない部分があるのかなあと思っております。

 ある政策課題で共同はできると思いますけれども、ここから先、先ほど出ました「カネの切れ目が縁の切れ目」、懐ぐあいの問題として、国民保護主義的な政治、資源配分を中央政府も地方政府もどこまでできるのかと考えると、なかなか政策課題もそうはいかない。

 戦後、とりわけ1985年ぐらいから自民党が自由主義の政党であれば採らなければならなかった政策をとれなかった。権力依存のためにか、あるいは日本的な平均主義・横並び思想のためにか、結果としてとってきた国家社会民主主義のような政策、新自由主義的な観点からリシャッフルできなかったこの自民党の政策と、公明党の持つ保護主義的、庶民に対する保護官的政策が、今のところはそれで合っているのだと思います。そのことが今度の年金の制度設計のところでどうしても税金、消費税、間接税、付加価値税で社会保障をまかなうということ、例えばわが党みたいな最低保障年金のところを言えない。そこに厚生官僚、特に社会保険庁及びその周辺に群がる人々の、保険料であれば国民の支持を得やすい、その保険料周辺での利権集団との交渉をしなくていいとか、いろいろな要素が加わって今度の中途半端な年金制度になっている。公明党がそれを主導したと言われるのも故なしとしない、そういうふうにこの間の政策形成過程を分析しています。

 わが党が、例えば3%年金目的消費税を入れる。最低保障年金はそこでカバーする。3%で足らなければ5%やるんだと言ったときに、本来は社会民主党なる存在がそれを一番に言わなければいけない政党だと思うけれども、それはできない。共産党もそんなことはとんでもない、ほかに国庫があるはずだと言うならば、ここも政策的に共闘関係にはありません。公明党が例えばその種の論議に同意できるかどうかというのはまだわかりません。ただ、権力をめぐる問題が公明党に一番大事だとすれば、その程度の低所得者層に対する打撃はあえて認めるよう(打撃になるかどうかわかりません、本当は北ヨーロッパ的にいうと、そのことが所得の低い層にとってはいいことなんだという考え方もできるのかもしれません。しかし日本ではそのことは低所得者に対する打撃だと。消費税・間接税を上積みしていくのは、逆進性が高いから打撃だという常識が流布しております。)それに公明党が踏み込むことができるのかどうか。これは一例ですけれども。

 まさに集権的な資源配分構造から抜け出ることは、保護主義的な、国民保護的な、恩恵的なイデオロギーのもとでの配分構造から抜け出ることができるのかどうか。我々もそれは戸惑っている部分もあるのですが、私は最初に申し上げたように、財政的な理由からそこはどちらかの政党が背中を押されてそちらに行かざるを得ない局面に今立っていると思いますから、わが方がそこに行こうというふうに思っています。今のところそれが自民党にもできないし、公明党にもできないし、共産党にも、社民党にもできないというところが、日本の政治の行き詰まりでもあるし、その他の問題でもどうも一歩前へ行けない最大の部分だろうと見ています。

 公明党問題は、実はそういう本質的な問題ですが、何がこの党の最大のモチベーションなのかというのがもうひとつわからないところがある。

 

 いかなる負担の、いかなる社会をつくるか

○問い 中小企業の立場から見ますと、今後もし民主党が政権を取ったときにどちらの方向に向かうのか。自助努力の世界を貫徹していくのか。それとも自民党も改革派と守旧派と、どっちが出てくるかによって民主党がそれに合わせて反対を言う、過去の社会党のような立場をとっていくのか。どっちかわからない。自助努力、小さな政府、競争力、優勝劣敗、こういうような主義で貫かれていくのか。みんな自分のことは自分で面倒を見るということになれば、極端なことを言えば年金はいらないわけですね。そういう世界を目指すのか、それとも消費税を取って大きな政府の穴を埋めていこうとしているのか。

〇仙谷 アメリカ型になってもそんなに簡単な話ではないと思います。ブッシュが何を言おうとメディケアを捨てられない。むしろブッシュのほうがクリントンよりも高齢者医療政策については保護的なことを言っております。国民的な老人医療のところの薬剤費を政府が負担しますみたいなことを言い出してみたりする。ですからそういう極大化した姿を描いてみても、この時代は意味がないのかもわからない。私は日本の官主導の経済構造は、もっともっと自由化をしなければならないと思います。反対から言えば、これは特に金融的な面から言えば、リスクをみんながひっかぶることを覚悟する構造をつくらなければ、お手々つないで日本銀行か財務省理財局かわかりませんけれども、国債とともにみんなが心中するような構造に今入っているわけですがこれはいかにも危ない。一国単位ではもうだめなんだということと、経済社会をもっともっと自由にする。

きょうの朝日新聞で船橋洋一さんが農業について書いていました。私も株式会社がもっと参入することを原則として認めた上で、しかし、投機対象の土地転用を簡単に認めないという制限をつけた上で、株式会社が農地を取得し、そこで農業に参入できるということをやる、そのことが輸出用にもなる。アジアの中で日本のくだものとか花も株式会社が主導してできる。農業産業みたいなところに農業を誘導していく。農業がそういうことでもう一遍発展・再生できるような規制緩和、規制改革は大いにやらなければいけない。先ほど申し上げたネポティズム(縁故主義)というか中央の縦割り、各省庁を中心軸とした、一遍仲間に入れてもらえばメシ食っていけるという、これを壊さなければと思います。

 一方、市民社会とか個人のレベルで「健康で文化的な最低限度の生活」の「最低限度」の議論をする必要があると思います。例えば年金でいえば最低保障年金をつくって、そのほかはきわめて自由度の高い年金制度の設計にするしかないと私も思っています。最低保障のレベルが10万円になるような制度設計をする。そこは今の国民年金保険料1万3300円ではなくて、年金目的消費税をたとえ5%にしても、10万円保障できるような制度設計をすべきだと思っております。

 医療の問題も、これは保険でカバーをする外に、千葉県が始めた女性外来という制度は特別療養費制度でたぶん1人当たり2000円〜3000円ぐらいが病院に払われる。30分相談に乗ってもらって本人の負担が2000円ぐらいの相談料を払う。県が1000円とか2000円分を負担する。保険で負担されるのがたぶん1000円か2000円。そういう医療サービスが千葉で行われて、評判がいいんです。これも規制の問題です。じゃあ1500円払えない人は女性専用外来に行けないじゃないかと悪く言うけれども、しかし、日本の今のレベルでその段階は行っているのではないかという気がします。そういう目線で、所得分位、20%、第1分位でしょうか、平均からいうと年収200万ぐらいの世帯、ここに対する手当ての問題と、中間層がそういうふうな落ちこぼれのない政策(といってもなかなか難しいのでありますが)、例えば教育費無償と強く主張する人が、どれくらい塾の費用を負担されているのか。そこはへっちゃらで、教科書無償だけこだわる。こういうばかばかしいことを、うまく設計して資源が循環できるようにしなければいけない。ここは本気で議論しなければいけません。

 私が本当に頭に来ているのは、例えば 地方の小さい建設業者にしても、資格証とか講習修了証とか50枚ぐらい壁に張らないと入札に参加できないみたいな事態が今あります。あの時間と経費。こんなことはなくさなければいかんと思っています。

○司会 きょうは本当に楽しいお話をありがとうございました。ぜひ民主党もこれから活躍なさって政権につながることを期待しております。(拍手)