日本政治総合研究所「政治問題研究会」にて講演  

2004年3月9日

 

 

(本稿は、日本総合政治研究所の「政治問題研究会」における仙谷由人の講演と質疑を、仙谷由人事務所の責任で編集したものです。)

 

                 

21世紀にふさわしい日本の憲法を考える

仙谷 由人

 本日は日本のオピニオンリーダーの会合にお招きいただき光栄です。

 昨日も国民政治研究会で憲法問題をお話ししました。そのときと2〜3人重なる方もおいでですので、重複しないよう話します。用意しました資料は、民主党が2001年鳩山代表のもとで中間報告をつくり、翌年もうひとつ煮詰めて2002年報告をしたその要約版を用意しました。党の憲法調査会は、新人も含めて今年の2月に本格的に再スタートしました。党は5つの小委員会をつくって議論していこうとしています。もう一つ「侃々諤々」(朝日新聞の「論座」3月号)のコピーをお配りしました。同誌前月号に掲載された安倍晋三自民党幹事長の憲法論への批判の内容のインタビューをまとめたものです。

 

民主党はばらばらか

 

 さて、冒頭、司会者から民主党がばらばらではないかという指摘がありましたが、私はそう思っていない。今まで文書でまとめた部分は党内合意をとっているものです。今の時代、民主も自民も、公明党と違って思想統制はきかないから、違う考えを持った方を統制できない。しかし、憲法について考え方はそれほど違わない。今日本で憲法議論をしようとする際、どういう「国のかたち」ということでは変わらない。ただ、安全保障では法律論的にではなく、運動論的政治論的に考えるくせが抜けきらないので議論を逃げている人もいるようだ。党としてはまとまっている。安全保障問題では私の文章が掲載されたものを見て、小沢一郎さんがまったく同じだといった。私も小沢さんにすりよったということではない。

 90年湾岸戦争でPKOの問題が出てきて国連憲章と憲法の関係が問題になった。それまで我々は国連というものをリアルに安全保障を担うものとしてとらえてこなかった。そうしたとき、立花隆氏の「月刊Asahi91年5月号」にのった「国連に自衛隊を国連軍として提供すれば憲法と抵触しない」という論考を読んで、ああそうなのかと思った。当時は社会党だったので当然にも憲法論争、特に自衛隊の存在は、石橋元委員長の「違憲合法論」など、どう合憲にするのか悩んでいた。93年上原康助さんと私で「限定防衛論」という文書を書いて選挙後に社会党の政策にしようとした。必要最小限度の自衛隊、防衛力を保持することを憲法は禁じていないということを党の政策として明確にしようとしていた。私が落選したので、社会党の政策とすることができないうちに、一年たって村山内閣が総括なしに「自衛隊堅持」を表明するということになった。安保の問題が民主党のばらばら感を出しているというのはちがうと思う。

 衆院憲法調査会が制作しているウェブサイトを見ていただきたい。憲法調査会がどのくらいの視野でやってきたか、また資料がどんなものかをごらんいただくことが必要だ。4年間諸外国の憲法事情、憲法改正事情をみてきました。調査資料を事前に勉強し、相手国の専門家と議論し、調査報告書をつくってきた。皆さんにぜひこうした資料を見てほしい。つまり新聞紙上で書かれるのは、どんなに議論しようとも、唯一9条をめぐり、自衛隊が「合憲か違憲か」、文言上も「護憲か改憲か」という冷戦思考型の二極の報道しかしない。これは不幸だ。大新聞はほとんど9条しか関心がない。それも旧来型の「護憲か改憲か」の報道。議員の中にはそういう古い方もいらっしゃいますよ。相当数いらっしゃるが、メディア自身がそういうところにしか関心がいっていないから、土井さんと共産党と自民党の奥野誠亮さんの昔の議論しか書かない。私が調査会でどのような「議論立て」と「組み立て」で話しているかは書かない。記者の皆さんも含めこれだけ日本が思考停止すれば、この国が行き詰まっているのはむべなるかなというのが私の気持ちです。

 

 

「地方自治の本旨」を憲法で明確に

 

 憲法論争というのは、国の重要な原則をどう法律で書き込むかということにつきると私は思っている。日本の議論の一つは、「憲法アンタッチャブル」− 憲法は明治以来の「不磨の大典」、さわってはいけないという意識に基づくのか、もし少しでもさわったら、結局9条を改正するという動きに押し流されてしまうので、さわってはいけない、あるいは論じることもいけないという雰囲気。それで何が日本で失われているか。

 何が問題なのか、私にとってこのかん衝撃的だったのは、憲法調査会のなかで、ある相当改革的な町長がいて、税源財源の移譲が必要だと主張されました。こんな中央集権的な行政ではだめだ、税財源をこんなひも付き的なことをやっていてはだめだという。

 私は諸外国を見て「地方自治の本旨にもとづいて、法律によってこれを定める」という憲法92条の規定が間違っているというか、もっと具体的に書くのが本来の憲法ではないかということを、時間があれば質問することにしている。諸外国の憲法を見ると、「地方自治の本旨」というのは、大きく言えば一番大事なのは「課税自主権がある」ということを憲法に定めてあるというのが要諦だ。最近では、「補完性の原理」をきちっと書く。さらには「中央政府と地方政府が対等」ということを書く。中央政府と地方政府のトラブルの調整の機関があるならこれも書く。こういうのが、まさに「地方自治の本旨」の諸原則だ。

 そこで、「そういうことを書いたらどうでしょうか」と私が言うと、その改革的な町長さんをはじめ、ほとんどの人が、「いや、憲法はさわる必要はない、そういう法律をつくって基本法でできるんだからそれでいい。」と言う。

 

プライバシーの権利を具体的に

 

 また、憲法13条、14条の関係で、進歩的な学者も調査会で異口同音に言うのは、「プライバシー権なんていうのは憲法13条で判例上認められているから改めて憲法に書く必要は無い。」こういう議論が非常に多い。しかしそれは私は憲法論としてはまったくでたらめだと思う。

 実態として個別具体的な法律や判例が積み重ねられてきた場合に、そこに憲法上の原則として書くべき重要なことがあるという価値判断があるのなら、憲法を改正してでも、それを書くべきだ、それこそが憲法だ。

 プライバシーや知る権利が、例えば今までの一般的なメディアの「報道の自由」より、知る権利、行政情報にアクセスする権利がこの時代に重要な国民主権のツールだということで、そういう価値判断をするなら、これを書くことこそが憲法だ。

 現にeガバメント、IT化の世界の流れの中で先進各国が、情報公開の請求権、情報を知る権利、プライバシーに注意を払い、個人情報がもれていくことに対して極端にナイーブになって、これを憲法を改正してでも守っていく、人権を具体的に書いていくべきだ、そう考えているところが多い。現に今議論しているEU憲法草案ではちゃんと、プライバシー権、国民の情報にアクセスする権利が書いてあるし、さらに進んでこれを守る独立の機関をつくることも書いてある。カナダには、プライバシーコミッショナーがちゃんと書いてある。eガバメントをする限り、個人情報を保護する仕組みをつくらなければ、その装置としてプライバシーコミッショナーをつくらねば、このような危ないものはできない。裏表の関係です。

 

制度・法律のエキスを憲法として表現する

 

 何がいいたいか。

 憲法は、どこかから天賦の人権が出てくるとか、それも近代の価値から演繹的に導き出されてくる部分もまったくないとはいえないし、そういう思考方法も大事だが、もっと下から考えて、諸制度、法律のその時代時代のもっとも重要なエキスを書くのが憲法だ。憲法はその程度のもので、それ以上でも以下でもないと考えた方がいい。

 例えば、27条、28条、労働基本権、労働権が書いてある。歴史的時間的には今の憲法と労働諸法制を比べてみれば、たしかに憲法上の規定が労働法制より先にあって、そこから基準法、組合法やその他労働法制が出てきたのだが。実際の労働関係の必要性の中でこの規定がおかれるようになった。あるいは31条から40条の人身の自由の規定、なぜ人身の自由がこんなに何条も書いてあるのか。刑事訴訟法以下の司法関係と人権の関係は、これは歴史的なもので、そういう段階を踏んで人間の知恵や反省や、人類への愛とかが表現されてきたのだろうと思う。今の時代にそのことを日本の「国のかたち」として考えるということだが、では今それをあらわす時期なのかどうか、そういう必要性、必然性があるのかどうか、その議論と判断が政治のレベルにまかされていると私は思っていて、どうも日本のいきづまり現象は東大の佐々木学長が言っているように、日本が冷戦崩壊以後、その意味での国家論を必死にやってこなかった、そのことは大学の講座をみても、昔でいう国法学のような、「国のかたち」を考究する講座がなく、憲法学は概して解釈に終始してきたというところがある、あるいは判例研究に終始してきた。したがって、憲法調査会で議論していても、聞いていて役にたつ議論は、政治学や行政学や財政学や、国際政治、国際関係論の先生であるが、憲法関係の先生のお話をきくと、現状維持以外の何ものでもない。たとえば今最大の日本の課題の司法問題として、最高裁の憲法判断回避問題がある。先の参議院議員選挙・定数是正違憲訴訟で、福田さんという外交官出身の判事が、こんなことをやって憲法判断を回避すれば憲法裁判所を作られてしまうぞ、という危機感あふれる補足意見を書いた。本当にこれだけ、行政に対してせっかく与えられたチェック機能を、「個別具体的な事件がなければ憲法判断できないという制度だ」といいながら、いざ憲法判断の機会がきたらすべて回避してしまう司法消極主義。こうした司法保守主義では、この時代の変革についていけない。このことは憲法9条に限らずすべての問題にわたって、憲法シニシズムとか、司法シニシズム、法律シニシズム、すなわち法律や憲法というようなものを作っても守られないのだから、何しても勝手だという議論につながっていく。政治家不信だけではなく、憲法不信、法律不信、法の支配という一番大事な根幹を崩してしまう。そういう危機感を私はもっている。

 

主権国家の変容と安全保障

 

 さらにブッシュのやった国際法違反の問題。国際法くそくらえ、アメリカの帝国路線をやる、「朕は法律なり」、新たな国際法をつくるんだ、今までの慣行など関係ない、力こそ秩序の源泉だというやり方、これが国際法や国連へのシニシズムを生む。

 「だからアメリカと一緒にやればいいんだ」という議論と、「だから別にやれ」という両極に分かれてしまう、この構造も不幸だ。

 今私たちがいるのは、やはり歴史的な段階としての近代国家、今そこから進んで少なくとも工業化社会が先進国ではすんで、その次の段階にさしかかっているのではないか。とりわけそのこととグローバリゼーションがあわさって、国境が限りなく低くなっていかざるをえない。では主権国家が持っている主権とは何なのか、安全保障についての主権も含めてのことだ。安全保障とか自衛権や軍事主権などは、しょせんは近代国家の主権の一部であった、主権国家の主権の中身が変わらざるを得ないし、今変わってきつつある、これをどういうふうにとらえて再構築するかが問われている。

 そのことは残念ながら、日本もアジアに存在しながら、アメリカという存在が巨大すぎるために、(今まで明治維新以降「脱亜入欧」路線をしいてきて、それをゆがんだ方向へもっていったために失敗したと思いますが)アジアへの差別感や見下ろす感覚が払拭しきれていない、今は「脱亜入米」のような格好になっている。アジアの経済発展が著しいのだが、段階としてはまだレベルが違う。

 一方われわれが重要な価値だと言っている人権、民主主義、国民主権そして平和構築が、近代国家の諸原則としてヨーロッパが追求してきたものだし、ヨーロッパの価値を取り入れたのが日本の近代、明治維新以降だと思います。現代も、まねといわれようとこうしたモデルを模索すべきです。日本の憲法精神の重要な価値として平和、人権、民主主義を否定するものは誰もいない、重要だと右から左まで言う。それならばそれをより現代的にポスト工業化社会、グローバリゼーションの中でアジアという地政的な環境の中で、アジアの中で生きていけるように「国のかたち」としてあらわす、憲法にあらわすことが必要な段階にあると私自身としては考えている。そういう議論をしよう。

 これは最終的にどうなるか、EU憲法草案という形で大いなる議論がされている。基本的に今、EUは、人の自由往来を憲法上も大事な諸原則として認め、通貨発行権も金融政策もヨーロッパ中央銀行にまかせてしまう、国家主権をそこまで、入国管理権も通貨発行権も金融政策もEUという超国家機関に移譲してしまうなど相当に変わりつつある。そして、軍隊というのはもともと国境線をはさんで対峙する、互いに警戒的に軍隊を配備する。あるいは農業の所得政策、山間地の農業保護政策は、実は(安手の)国境防衛のための政策だったという人もいる。しかし、そういうことが自由往来を保障した瞬間に意味をなさなくなった。あれだけ国境をはさんで対立し殺し合った第1次大戦と第2次大戦はなんだったのか、つまりそのことをなくすために、石炭鉄鋼共同体からEU統合にこぎつけたヨーロッパの知恵はたいしたもので、そのことをアジアでできないはずがないと私は思う。時間がどれくらいかかろうと、実現の条件はちょっと俯瞰的にみれば、できつつあることも間違いない。中台問題や、北朝鮮の問題はあっても、人口的にも、面積的にもごく一部の問題だ。東アジアのほとんどの地域にとっては、(中国では人権保障の課題がありますが、ひょっとすれば分権は中国のほうが先に実施することがあるかもしれない。昔の軍閥の記憶があるから、分権は早く実行するかも。)経済だけでなく、ひとの往来、情報通信・ITをみると、東アジアで市場の統合、経済一体化が進むにつれ、その上部構造としての政治制度、共同の秩序維持機構、実力を背景とした地域安全保障機構をたちあげる機運は大きくなりこそすれ小さくなることはない。もういっぺん国境をはさんで、小さな島をとりあったり、経済権益をめぐって両軍が銃火を交えるようなばかなことはあまり想定ができない状況になってくる。そうだとすると、EUモデルをもとにして、「国のかたち」を考えていけばいい。

 

 

財政破綻からの脱却は、資源配分の分権化から

 

 何よりも国内的に本気で分権のシステムをつくっていこう、その「国のかたち」を憲法にもあらわす。92条から95条のこの4か条では不十分だ。いつまでいっても中央集権に慣れ体質化した官僚機構とその上で何かをやっているように思い込める中央の政治を変えることはできないし、国民の意識としても口をあけて待っていれば東京を中心に集めた税金が地方へばら撒かれるという心理、この過剰依存症候群が治るには程遠い。この重層構造が直るにはその議論をまずは起こして資源配分の分権化を進めない限り、今は財政破綻の危機と表現されているが、この危機を脱出することはできない。それは憲法議論としてしなくてもよいという人がいるが、わたしは、少なくとも国家論・憲法論として、それを意識し、それをまじえながら三位一体をやらないと、所詮は財務省と総務省の縄張り争いにしかならない、現在の中途半端なことをやればやるほど、心理的にも地方は追い込まれ破綻していく。徳島市は800億のうち20億減少して、前年比50億円減の予算をくまざるをえない、それでも決算では赤字が出ることは確実だ。ほとんどの自治体が追い込まれている。しかしそのときに課税自主権があれば、住民に増税をお願いして。ここの公共サービスは維持するという首長が出てきてもおかしくない、しかし、そういう首長ほとんど出てきていないのが今の現実だ。

 

 

「創憲」の具体的意味

 

問い

 「創憲」と言っていますが、民主党は2006年に憲法の草案を出せますか。先送りか。その間に既成事実が進み、実質的な変更が進むのではないかという危惧をもつが、

 

答え

 では聞くが、9条を変えるのを心理的にいやだというのは、自衛隊が合憲の存在だと認めながら、これを憲法上、表現する、書くということをいやだということになる。たぶん合憲かどうかを国民アンケートにすれば、否定する人が今どれくらいいるか。もし合憲的存在だというのなら、なぜこれを憲法に書くのがいけないというのか、この理由を考え出すことは難しいですよ。法律論としては、そして憲法論としては。さらに政治論としても。運動論としてとか政局論としてはある、自民党に引っ張られるとかいう議論はある、軍国主義大国化する、あるいはアメリカとなんでもかんでもいっしょにやりだすのではないかとか。でも今は憲法を変えてないけど、アメリカとなんでもかんでもいっしょにやっているじゃないか。

 ということとの関係で、その問題をさておいて、自民党が9条以外にどんな憲法改正を持ち出すと予測するか、そのことがどのくらい皆さん方が反対しなければならないとか賛成しなければならないものと予測されますか。

 そこを一般的・抽象的に憲法改正論に引っ張られずるずるずると悪の道に入っていくというイメージで語る人が多いのだけれど。僕は自民党をよいといっているのではない、憲法調査会の議論をきいていると、古色蒼然として古すぎる人はいる、明治憲法体制下の国に帰そうという雰囲気の人や、権利規定が多すぎて義務の規定が少なすぎるとか、憲法の成り立ちを勉強してないのかと思うような人はいます。しかし、小泉構造改革であれ、橋本6大改革であれ、本来、改革マターというのは、構造的な改革をするならこれは憲法的マターですよね。これを国家論として、憲法論としてやってこないのが無理があるので、もし、国家の姿として「何とか基本法」を作ったときは一番大事なエキスだけを憲法に書き込むのが正しい姿であると思うけれど。そうであるとすると、では自民党がどういう憲法改正をしようとしているのか、9条、安全保障、自衛隊、有事非常事態を別途議論するとして、では他のことで自民党がどれだけ斬新な国民が希望持てるようなそういう憲法論を出せるのか、そこが大問題だ。つまりいまだに、どんなに思想があっても、政治家として靖国神社に行くという計算がどこにあるのかと思う。そういう国柄なのか、そういう総理をいただく国が、アジアの中で生きていくという国家論戦略論をどうやって出すのか、本当に見てみたい、

 それからeガヴァメントを推進することでIT関係で国地方合わせて2兆5千億の予算が使われていながら、正しく位置づけて使うことができない、これはなんなんだ。

 「国のかたち」とか、地方政府の形とか、そこに生きている国民の権利とかをけじめをつけて変えていかないで、制度としてもたてまえとして変えないことに安心感があって、実態はずるずる変わっていくのをよしとするこの風潮は本当によくない。

 それが自民党の風潮であって、自民党は本当に「読売新聞」のつくったような憲法草案と類似のものでいいから全体的なものを出すべきだ。9条の改正だけおっしゃるのなら、まさに政治的な意味を問われる。彼らにとって、9条の改正もこの時点ではむずかしい。古典的な帝国主義を可能ならしめる軍事条項だけをつくる以外に、国連、国連憲章がたどりついた戦争違法化の流れ、これからの地域安全保障を視野に入れると、ブッシュの今の帝国路線につきしたがうようなことは、憲法上書き表すのはものすごく難しいと思う。もしそうだとするなら見てみたい。

 具体的にどういう憲法条項をどういうテーマで考えていくかを踏まえた議論が必要になってくる。さきほど「創憲」がわからないとおっしゃったが、このサマリーでも、A案、B案くらいの「新憲法草案大綱」を書くという場合、2週間時間をもらい、4、5人議員プラスッスタッフがいれば書き物として書けないことはない。問題は、それの政治判断をどうするか、あるいは議論としてそこに収斂できるかどうかだ。ただ憲法草案の場合は、抽象性が高いから、9条問題で「えいやっ」と運動論的にそこまで書くと選挙に負けるからやめようという意見と、はっきり書くべきだという議論をどう収斂させるか、足して2で割るわけにはいかないから、そういう悩ましさはあるけれど。それをのぞいて、例えば内閣制度の問題、内閣というのは国会によってつくられた政治権力=エグゼクティブパワーであるという問題意識。それから分権、人権保障の具体的担保、どうしても考えなければいけないのがプライバシーの権利。国家、中央政府と地方政府、さらに国民の、すべての人に環境保全義務というふうなものは、どうしても新たに具体的に書き込んだほうがよい権利だ。

 こうした点についてこれまで党内議論をやってきて、それほど異論があるとは思っていない。確かに価値判断がいちばん必要な、その時点で、雰囲気とか状況に左右されやすい安全保障の問題をのぞいては、それほど書きにくいものではない。

 

 

「修正条項」で対処できるか

 

問い

 憲法論議で何を変えるかと、いつ変えるかということをどう考えるか。新しい憲法草案をいったいどういうスタイルで改正するか。「歴史を考えよう、」「日本文化を考えよう」明らかに戦後の日本国憲法は歴史のなかで生きている、すでに50年ほど。しかし新しい憲法が出たときに明治憲法のように古いのは全部消えてしまうのですね。そこで、アメリカの憲法のように修正条項でやっていくのは一つのやり方です。でないと9条といっても、消えてしまえば意味がなくなっていく。9条の何が変わって何が残るかは修正条項でやっていった方があとで長期的にもいい。

 

答え

 そういう意見もあり、悪くない。技術論的にはそういう落とし方もある。ただ議論としては全体的な議論からやらないと。民主党が先般のマニフェストで批判を言われたように、細かすぎるとか、重箱の隅をほじくっているとか、国家論が無いとか、ご批判をいただいた。あるいは、戦略論がないとか。

日本は明治維新以来の3回目の大転換期だとか言います。

 もう少しこのまま現状維持的やり方が、先送りで豊かさが続いてほしい、とりあえず貧しさや拙いところが解消されていってほしいというふうな雰囲気がある。しかしそうはいかないのだよ、もう少し違う黒船がきているんではないですかという議論が、さっき言われた論憲のところで大いにやられないといけない。単なる修正条項という議論では、こうした問題が先送りになっていくのではないか。

 技術的に最後の段階で今回はこの条項をこう修正しようということはある。

 

まず中央の構造を壊すことが先決

問い 

 地方自治の本旨との関係で、「補完性の原則」を強く打ち出そうとしていますが、今の自治体がいくつか憲章を出そうとしていて、そういうのが積み重なってくると、「補完性の原則」は下から上から憲法から条例までつらぬくので、自治体の動きが先行しないと、憲法が先行して補完性で下に作らせるというふうにはならないのではないか。日本の場合、新しい憲法も上から「補完性の原則」がどんときていいのか、

 

答え 

 日本の場合、上から壊して、中央の構造をこわしたあとの姿があるべき姿だと示すべきだ。憲章をつくれる自治体はいいが、作れないところは、それを待っていると「百年河清を待つ」ことになる。

 

問い

 中央を先にやるのは論理としてどうか。

 

答え

 いや、「国のかたち」として権限分配の原理、骨格をどう表現するか。分権推進法に書きましたね、それを憲法文言にして書くべきと思う。

 

 

 いかなる「国のかたち」をつくるのか

 

問い 

 やらなければいけないのは憲法調査会でどういう「国のかたち」をつくるか、十分議論してそこの統一をしてから、そこから憲法に入るべきだ。EU型でアジアを頭に入れていくというのはわかったが、国会のコンセンサスはあるのか。

 

答え 

 衆議院の調査会の議論の仕方として、その問題意識でやろうと、私も党も強く主張して、「21世紀の日本のあるべき姿」の議論に一番時間をかけてきた。どういう「国のかたち」かというと、地政的条件のもとでの戦略的な観点、EU的にいうと、例えば私でいえば、「徳島人としてのアイデンティティを、日本人としてのアイデンティティをもちながら、なおかつアジア人的なアイデンティティをもつ」というような、そういうアイデンティティ意識、自覚があって、それでアジアの中で融合していく「国のかたち」をどうつくるか。

 そういうことについて、まあどうでしょう、ここは私の感じでは、右左論争が感覚として残っているという問題と、21世紀がどのような時代なのかということについての世代間の認識の差はまだ幅寄せができている状況とはいえない。むしろ国民意識から言えば、そこの問題意識を、うーん、どうなんだろうかという迷いと悩みが少々ある。去年末から今年になってメディアは憲法を取り上げるようになったが、しかし、国民の中で今言われたような観点から喧々諤々・百家争鳴の議論があるかというと、どうも憲法論議が盛り上がらないという状況だ。私は今「国のかたち」、国家論を論じるときだと思ってあえて話しているが、しかし、この雰囲気で、政治主導、永田町主導みたいな形で、与野党で談合的な憲法草案つくって、「はい3分の2になりましたからこれが新しい憲法草案です」、そういうのはだめだと思います。

 

 

問い

 小泉首相は5年くらいと言ったが、実際はどうか。

答え

 わからない。 小泉氏と、自民党憲法調査会の幹部が連動しているのかわからない。

 今やらなければいけないのは、「公会計と地方財政」はすぐやらないとピンチが迫っている。地方債は政府保証がついていない。一方で、困難な年金、財政、地方経済と予算の問題があります。こうした問題から争点をずらすために、憲法問題を使われてはまずいという気がしています。これは「争点のせり上げ」というやり方です。しかし、国家論を問うていかないと、諸制度のみを問うても、これもしかたないと思いますよ。

 

問い

 参議院選挙で憲法は争点になるか。

答え

 私からは菅代表には、党内的にも課税自主権くらいは言ったほうがよいと言いました。参議院選挙の選挙綱領で、たとえば「憲法裁判所をつくろう」というかどうか、もう少し党内議論をして、またトップ三役の政治判断だと思います。

 

問い

 若い議員たちはどうか。あまりムード的なのは困るが。

答え

 1年生の中にもまじめな人が多い。いつの時代でも考える人と考えない人がいます。