「5時間半の手術で胃3キロを全摘出しました・・・」

仙谷由人「がん」初告白

週刊朝日2002年2月15日号より

 民主党のエース、仙谷由人代議士が永田町から姿を消して2週間。さまざまな憶測が飛び交っている。実は仙谷さんは胃がんのため、都内の病院で胃の全摘出手術を受けていたのだ。政治家は病気を隠す傾向にあるが、仙谷さんは手術後、本誌に「がんとの闘病」を5時間にわたって初めて告白した。

 僕が東京・築地の国立がんセンターに入院したのは1月15日、ちょうど56歳の誕生日だった。病名は胃がん。がんの病巣が胃の噴門部に近い上の部分にあって、転移を防ぐためにも胃と周りのリンパ節をきれいに取り去る全摘手術をできるだけ早くしなければならない状況でした。担当医からは、

「がんは、いまのところ転移はしてはいないようですが、詳しくは手術で腹を開けてみるまでわかりませんね」

 と宣告されていた。入院の日、築地市場内の鮨屋で家族と飯を食った。僕が胃に入れる最後の食事。美味かった。

 仙谷さんは弁護士で徳島1区選出。当選3回。民主党の中堅幹部。金融財政の専門家。若手代議士からは「将来、党を背負う人」と慕われている。仙谷さんの胃の上部にがんが発見されたのは、昨年12月26日。地元徳島の友達の病院で行った人間ドックだった。仙谷さんは血液検査などは毎年定期的にやっていたが、人間ドックは仕事が忙しく、50歳の時にやってから5年ほどサボっていた。

 検査をした日の夕方、友達の医者が青ざめた顔で、

「仙谷、ちょっとこっちに来てくれ」

 と言うんだ。院長室に入っていくと、友達は内視鏡で撮った胃の内部を見せながら、沈んだ声で言った。

「この部分だけど、ほとんど間違いない。胃がんだ」

 僕は、それまで快眠、快食、快便で自覚症状などまったくなかったから、

「えー、本当か」

 と言ったまま絶句したよ。

両親は脳血管障害で死んでいるし、自分自身もコレステロールや中性脂肪の値が高かったから成人病系統の病気の心配はしていたけど、まさか、がんにやられるとは思ってもいなかった。

 ショックだったが、うろたえていてもしょうがない。東京で専門医に診てもらうことを決めて、国立がんセンターの内視鏡部長に依頼すると、12月28日早朝ならば検査が出来る、というのでとんぼ返りして飛び込んだ。

「がんに間違いない。とにかく早く切ったほうがいい」

 担当医となった外科の片井均医師から胃の全摘手術がどうして必要か、インフォームドコンセントも受けた。年末年始の予定はびっしりと入っていた。僕は手帳を繰って病院の予定とすり合わせた。1月12日に徳島で「花の会」という10数年来の女性後援会のパーティがあるので、ここまでは平常どおり日程をこなすしかない。

「1月15日入院、16日手術にしましょう」

 即断するしかなかった。東京の事務所で僕は、

「理由は言えないが、15日からいなくなる。そのつもりで予定を立ててほしい」

 とだけ話した。入院までは淡々と予定をこなすしかなかった。翌日からは上海・台湾への視察旅行にも行った。帰国したのは1月3日。この段階で初めて女房に知らせた。僕は衆議院予算委員会の民主党側の筆頭理事を務めていた。国会開会が迫り、役職を続けるのには無理がある。そこで、先輩で国会対策委員長代理の佐藤敬夫代議士に会った。

「だれにも言ってほしくないんやが、ワシ、実は胃がんなんや。胃の全摘手術をすることになった。ついては、筆頭理事を降ろしてほしい」

 佐藤代議士は信じられない様子で、しばし言葉がなかった。どこまで病気を隠すことができるのか。佐藤代議士とも相談したが、とにかく手術をするまでは、無駄な混乱を呼ぶだけだと思った。

 昨年暮れから東京と徳島を何回も往復、忘年会と新年会の連続だった。仙谷さんはがんを告知されてから急に知人の葬儀が続いた。新年になって7人の葬儀に出た。なかには、がんで亡くなった人もいた。焼香しながら、自分の葬儀のことまで考えたという。

 死というものを身近に感じて、いろいろなことを考えたね。私的なことだけど、僕が死んだら女房や子供はどうなるのか。生命保険もあまり入ってなかったしな。もちろん、民主党徳島のことも気になった。もし、あと余命2年と言われたら、自分の後継にだれを立てたらいいのか。何人かの顔が頭に浮かんだよ。

指でOKサイン家族と強い握手

 いよいよ僕も年貢の納めどきか。これまで、「どう生きるかが問題だ」と大言壮語してきたんだから、これも運命と受け入れるしかない、と思ったら気分が楽になった。

 これはがんとの闘いだ。存命期間をのばすために闘う態勢を整えなきゃいけないんだ。僕の周りには、胃がんの手術を受けてから20年以上もピンピンしている人が何人もいるんだから。

 手術は16日午後1時から行われた。普通、胃がんの全摘手術は4時間ぐらいかかるのだが、仙谷さんの場合は太って脂肪がつきすぎていたため、5時間半もかかった。摘出したのは胃やリンパ節などおよそ3キロ。全身麻酔からさめて、奥さんや子供たちが声をかけると、指でOKサインを出した。奥さんが手を握ると、仙谷さんは、

「とても力強い力で握り返してきて驚いた」(博子夫人)

 そうだ。手術は成功。担当医からは、がんはすべて取り除いたと報告された。

 手術のことは全く覚えてないんだ。終わって、目が覚めると女房や2人の子供がいて、握手した。政治家だから握手は慣れているけど、このときは嬉しかったな。手術後3日間は酸素吸入なんかもやられて、機械によって生かされている状態だった。流動食を口にしたのは手術から6日目の22日だった。元気が出て話せるようになったのは、五分がゆになり、自分でトイレに行って小便ができるようになってからだよ。

 胃を全部取ってしまったわけだから、これからは食事の取り方が問題なんだ。1回に食べられる量が少なくなって、しかも早く食べることができない。これから半年か1年ぐらいは1日5回か6回に分けて、30分間かけてゆっくりよく噛んで食べるしかない。食後は30分休むことが必要なんです。1日5時間以上も食事に費やす。これまで、飲み込むように食事してたから、これが大変だよね。

 政治家は病気を隠す傾向がある。体力に不安があると烙印を押されることを考えると、大きなマイナス要因になるからだ。とくに、がんとなると、死と結びつけた宣伝がなされるので神経質になるのも無理はない。最近では共産党の市田忠義書記局長が大腸がんの手術をしたことを退院後に明らかにしているが、胃がんの全摘手術を告白した政治家はいない。仙谷さんは、がんの手術が終わり、落ち着いてから病気のことをじっくり話したかった。

 片井医師は手術で腹を開けてみないと本当のことはわからないと言っていたので、その前に、「胃がんの手術をします」と公表するのも、かえって混乱すると思った。その段階での情報開示はさまざまな憶測を呼ぶだろうしね。それで、側近の助言を入れて、

「胆石の手術ということにしておいてくれや」

 と頼んだんだ。とりあえず混乱は回避したよね。しかし、地元紙には「胆石手術で入院」と報じられ、結果的にはウソをついたことになってしまった。これについては率直に謝りたい。国立がんセンターの片井医師も、

「がんは治る病気になってきたのだから、政治家もがんを告白してもいいころだよね。胃を全部取って、身体をコントロールしながら、がんとのつきあい方を語っていくのも一つの生き方ですよ」

 と言って告白を勧めてくれた。胃の全摘手術を隠すなんて無理ですよ。これからはどんどんやせるんだから。

 仙谷さんが人間ドックを受けず、胃がんが発見されなかったら、どうなったのか。そのまま、国会で活動し、6ヶ月後ぐらいに自覚症状が出ただろうという。そのときには胃がんが進行し、今回のように手術がうまくいったのかどうか、担当医も疑問を投げかける。

 本当に運が良かった。片井先生も、退院までのベストシナリオはできていると言ってくれている。今はリハビリのために、病院の中を10周も歩いている。がんは潜伏期間みたいなものがあって、再発するかしないのか、医者だって今の段階ではっきりとは言えない。ただ、それに、僕のがんはタチの悪いがんじゃなかったようだ。

 がんの手術をしてから物の見方が変わったような気がするね。とくに豊かさの考え方だね。数字のプラス成長だけが豊かさなのか。発がん物質が入った食べ物、シックハウス、騒音、悪臭・・・・こういったことに無防備になりすぎている。健康に生きることに貪欲でありたいね。

 ベッドで国会審議やニュースを見ているけど、相変わらず無駄なことが多い。日本の現状について危機意識が弱い。先送りばっかり。ダイエーの処理だって中途半端。あれだと、また数年後、より問題が大きくなって現れる。金融問題については、それこそ、情報を開示することと、まさに全摘手術のような抜本的な金融システムの確立策が必要なんだ。田中真紀子前外相らの更迭問題だって、真相を解明しないまま蓋をした形で、とても納得できる話じゃない。

 これから2月中旬に退院することになると思うが、シナリオどおりに社会復帰しなければならない。ゆっくり、じっくり活動していきます。もう一つ、40歳を過ぎたら年に1回は胃と腸の内視鏡検査はお勧めしますよ。